著:所 正文、小長谷 陽子、伊藤 安海
高齢者の交通事故について3人の識者が様々なデータや研究成果を踏まえて論じた本である。
わが国の年間交通事故死者に占める65歳以上の割合は、高齢化の進展とともに年々上昇を続け、2015年には56%に達している。このような状況を受け、日本では2017年3月施行の改正道路交通法によって、認知機能検査が強化された。実際、高齢になると、認知能力が衰える。視覚能力も落ちて視野も狭くなり、夜間の視力の低下が顕著になる。反応の速さも落ちてくる。高齢者に対する運転免許返納の働きかけの動きもある。
交通事故防止の方法としては、大きく分けて以下のような2種類に大別され、それぞれについての説明がある。特に、取り締まりや教育や啓蒙といったことは、比較的わかりやすい。
1.ドライバー自身に対して安全行動を求めるもの
・外発的な強制~取り締まり
・内発的な変化~教育と啓蒙
2.交通環境の改善促進を図るもの
・道路構造、交通施策等の改善
・安全車両の技術開発
・交通参加者の意識改革
本書を読んで印象に残ったのは、高齢者の交通事故の問題に関して、もしかしたらこれは必ずしも広く認識されていないのではないかと思われる原因や背景がいくつかあったことである。
まず第一に、実際は高齢「歩行者」の死亡事故が多いことである。実は、高齢者の交通死亡事故のうち約半数が「歩行中」である。歩行中死亡者の70%が65歳以上でもある。対して、欧米では、歩行中死亡者の比率は日本より低い。日本と欧米でそのような違いが生じる理由としては、特にヨーロッパでは歩道や自転車レーンが普及しているが、日本では歩道が整備されていない道路があまりに多く、「歩道が少ないこと」が歩行者が犠牲になる事故を引き起こす間接的な原因になっている可能性が指摘されている。高齢ドライバーが集団登校中の学童の列に突っ込んだ痛ましい事故についても、単にドライバーを責めるだけでなく、そもそもあの事故現場のように歩道が整備されていない歩行者にとって危険な道路があまりに多く、そのような場所が通学時間帯に車両通行禁止にもなっていないということを問題視すべきだ、とされている。
第二に、高齢者の道路の逆走が近年問題になっているが、逆走は高齢者以外でも発生していて、対策を施した場所では逆走の件数自体が減っている点である。これもまた、実は人ではなく道路環境の方に潜在的な問題があることを示している。信号機の無い交差点では、信号機のある交差点に比べて高齢者の事故の発生率が2倍になっている、というようなことも、もともと道路環境自体に潜在的な問題があることを示しているように思われる。
第三に、高齢者の「死亡事故」の件数は確かに多いのだが、死亡だけに限らない「交通事故」件数という視点で見ると、違う姿が見えてくることである。実は、年齢別に10万人当たりの事故件数をみると、最も多いのは16~24歳、次いで多いのは25~29歳であり、実は65歳以上は33~39歳と同じくらいの事故件数しかないのである。さすがに70歳以上、75歳以上と年齢が上がるにつれて増えるが、それでも20代より少ないという。つまり、高齢者の事故件数自体は相対的にみると意外に少なく、身体が弱っているなどの理由で、「事故件数は少ないのに死亡事故が多い」のである。
第四に、高齢者の死亡事故の1割程度が、実は事故を起こす前に身体発作などを起こしている可能性があることである。加えて、高齢者には服薬している人が多いが、薬が運転に与える影響について、飲酒ほど厳格な規制がないことも指摘されている。
第五に、特に地方では、いずれにせよ自動車が生活に不可欠になってしまっている点である。「免許を返上しろ」と言われても、そもそもクルマがなければ食料品も買えないし病院にも行けない社会では高齢者も困ってしまう。タクシー定期券のような補完する仕組みの整備や、路面電車を復活させた富山市のコンパクトシティ構想のように、あまりにも社会がクルマ優先になってしまったこと自体を見つめなおす必要性もありそうだ。
第六に、自動運転が万能の解決策にならない可能性である。自動運転技術には大きな期待が集まっているが、運転は総合的な脳の処理機能を使う一種の脳トレである。高齢者が運転を止めると要介護や認知症発生リスクが高まるという研究成果もあるという。そもそも、完全な自動運転の実現の技術的なハードルは結構高い。現実的には、運転の楽しみを残しつつ技術によって事故を防ぐということも考えてゆく必要がありそうだ。
社会的に関心が高まっている問題について、一般人が気付きにくい視点からも論じているという点で、一読の価値はある本である。ただ、複数著者による共著ということが関係しているのかもしれないが、全体的なまとまりがもうひとつである。最後で、全体的提言のようなまとめの部分があればよかったのではないかと思われる。
それから、「わが国において、運転免許を自ら手放そうとしない高齢者が非常に多いということは、自らの老いを受け入れることを拒み、液晶電池型人生を志向する日本人の象徴的姿であるという見方ができる」などというような、根拠不十分な上に、「液晶電池型人生」などという全く意味不明な単語を振り回して感情できめつけているような稚拙な暴論が散見される。また、英国において、「親切を受けた人と施した人との間に、”Thank you”, ”Welcome”という短い会話が微笑みを交えながら交わされる」と書かれている箇所があるが、後者については”Welcome”ではなく、”You’re welcome”の誤りではないかと考えられる。
新書、230ページ、文藝春秋、2018/2/20