著:藤井 誠二
学校における体罰の原因と背景について、適時生徒の死亡事故や自殺などによって公になった事件を取り上げながら追った本である。
「第十一条 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」
世の中には体罰についてかなり寛容な意見を持つハード派も存在するが、学校教育法第11条は上記のように定めていて、懲戒はOKだが体罰は法律上禁止されている。
したがって、実際の体罰をめぐる問題は、体罰には当たらない「懲戒」行為なのか「体罰」なのかという定義を絡めて議論されることが多く、過去の裁判でもそこがひとつの焦点となっている。国も遅まきながら2006年に体罰の定義を見直し、各地の教育委員会も国の指針に基づいてマニュアルを出しているという。
本書は、体罰に対して批判的な立場から書かれている。しかし、教師の側からすれば、きれいごとだけでは手に負えないような子どもたちがいるという現実がある。
そして、大阪のS高校バスケットボール部事件後に毎日新聞社が実施したアンケートが示しているように、厳しい指導を望む保護者は多く存在している。また、体罰に走りやすい先生には熱血漢が多く、熱心な生徒指導や部活動でのめざましい成果によって、慕ったり恩義を感じている生徒や保護者やOBがいることが多い。
結果として、体罰を苦にした生徒の自殺や痛ましい事件の後には、やり玉に上がった先生を擁護する署名運動が行われ、被害者家族への誹謗中傷の噂が流布されることすらある。
直接関係ない保護者たちからも、長期間騒がれることで自分の子供が通っている学校が世間から色眼鏡で見られることを望まない人達が出てくる。校長や教育委員会にしても、現行の評価制度や地域での対面上、様々な意図がはたらく。調査委員会の中立性が疑われたり、遺族の「意向」を汲んで教育委員会には事故死などとして届けるケースもあり、文部科学省が小中学校を対象に行う「問題行動調査」における子供の自殺者の件数は、警察の発表する数字と比べて大幅に少なくなっている。
特に体育会系の体罰の横行には、理不尽なものを受け入れることで強くなるという考えがある。
生徒が反省を見せることで先生は「わかってくれたか」と優しくなり、生徒の方も「愛の鞭」として自分を納得させ、何かを乗り越えたとか信頼の意識が芽生え、非合理の美学が育つ。
辛抱して続けさせることが教育指導だと考え、生徒が部活を辞めることを簡単に許さない場合もある。
一方で、顧問が暴力的な部活は部活内の先輩・後輩の関係も暴力的な場合が多く、口で言うよりも身体で覚えさせる方が早いという指導方針は恒常的な体罰につながりやすい傾向があることを著者は指摘している。
本書では他に、障害を持つ児童への体罰も取り上げている。また、最後の章では、体罰問題への対策として、強力な権限を持った第三者機関の設置、親の知る権利を制度上認めることなどが挙げられている。ただ、個人的には、対策の部分は少し物足りなさを感じた。体罰問題の背景を理解するには良い本である。
新書、219ページ、幻冬舎、2013/7/28