密林の図書室

人生は短く、経験からのみ得られることは限られます。読書から多くのことを学び、アウトプット化も本との対話の一部として大切なものだと考えてきたので、このブログを立ち上げて日々読んできた本の備忘録として活用しています。

オックスフォードからの警鐘 - グローバル化時代の大学論

著:苅谷 剛彦

 

 日本の大学のグローバル化政策に対する方向性について考察し、同時にオックスフォード大学をはじめとする欧米の大学との違いについても焦点を当てて、グローバル化が叫ばれている時代の大学の在り方について著者の見解を述べたものである。基本的に、日本の学生の6割程度を占める人文学系学科が対象になっている。

 オックスフォード大学は教育・研究面での国家からの独立性が高い。現代的な「役立つ教育」についての期待は専門職教育を大学院が提供することによって応えている。そもそも、欧米の大学は、講義中心の日本の大学とは違い、大量の読み書きとそれに基づく議論によって、学生たちに高い負荷を与えて批判的思考能力も身に着けさせることを重視している。

 英語が国際語として存在感を高める中で、英語で高等教育を終えた人はグローバル人材として国境を越えた高いニーズがあるため、英米の一流の大学は外国人留学生が多くいる。特にイギリスでは費用を差し引いた経費として100億ポンド以上の外貨をもたらす収益源になっている。そして、イギリスの有力メディアが発信する世界大学ランキングは、イギリスの大学のブランド力を高め、大学のグローバル化競争の有力なツールになっている。

 日本でも、産業界の強い要請を背景に、大学のグローバル化を進めようという動きがある。ただし、国の教育再生実行会議の「これからの大学教育等の在り方について」と題された「第三次提言」(2013年5月28日)を中心にみていくと、国際ランキングで100位以内に10校が入ることを目指す、英語での授業を10年で5割超、卒業までに半数の学生に海外経験をさせる、外国人留学生2割などの目標がある一方で、日本的な「等」で水増しされている部分もあると指摘されている。

 また、不十分な語学力のまま無理に外国語での授業を増やせば質的低下を招くと同時に、今まで日本語の壁によって外からは見えにくかった部分が露わになる可能性もあるとされている。日本の大学の問題は硬直的な企業の雇用システムをはじめとした社会的な要因も背景にあるという指摘もされている。

 要するに、グローバル化に対応しようともがくことで日本の大学が自ら混迷の度を深めているという構図があり、国の方針がその混乱に一役買っていると著者は主張している。また、日本特有の事情として「追いつき型」近代化とそこからの脱却ということがここに絡んできているという。

 ではどうすればいいかということについては、結局は、日本の大学が知の共同体としての強みと弱みを自律的にとらえなおして、グローバル競争ということよりも自分たちの内部の参照点に照らしてどのような多様性と実現手段が求められているかを探っていくしかないと述べられている。

 今までの大学のグローバル化論に置き換わるほど具体的なレベルにまで落とし込まれているわけではないし、蓄積した日本という経験を生かせば人文社会系の学問は世界に通用するはずだという主張の「蓄積した日本という経験」がどのようなものを指すのかも具体例が一切ない。ただ、日本の大学のグローバル化について考える上で、ヒントになる視点は含まれている。特に、和製グローバル化の問題については考えさせられる。

 

新書、229ページ、中央公論新社、2017/7/6