著:カオリ・オコナー、翻訳:大久保 庸子
パイナップルは世界的にバナナに次いで最も食されている熱帯果実である。そのままで、あるいは缶詰やジュースやカクテルとして、いろいろな料理に添えるものとして、利用されている。
西洋人がこの果物と出会ったのは、1493年のコロンブスのアメリカ大陸への2度目の航海のときである。風味だけでなく、異様な外皮の形も注目をあびた理由の一つであったようだ。実際、パイナップルの外皮は自然界におけるフィボナッチ数列の一例である。
もともと先住民たちはアマゾン川流域原産のこの植物を地道に栽培種として飲食に用い、発酵させて酒として飲んだり、薬としたり、葉から取り出した繊維を網や紐にして利用していた。
しかし、当時の長い日数を要する航海では、船に載せたパイナップルの大半がヨーロッパに着くまでに腐っていた。よって、この珍しい食べ物を食べられるヨーロッパ人は国王などごく限られた人だった。「王の果実」と呼ばれ、イギリスでは「女王の果実」とも称された。
ヨーロッパ各地ではなんとかこれをヨーロッパで栽培できないかという努力が行われたものの、のちにコストのかかる温室で少量の生産に成功するだけがせいぜいで、熱帯では簡単に栽培できるパイナップルのヨーロッパでの大量生産はかなわなかった。王侯貴族のディナーの席では、フルーツを利用したデザートが人気で、パイナップルも腕利きのシェフたちによって普及した砂糖と合わせて食材として利用された。
そのうち、19世紀の汽船の登場と缶詰技術の普及とともに輸送が容易になってパイナップルは広がってゆく。
パイナップルの栽培に適した条件はサトウキビとほぼ同じである。そこで、プランテーションによってサトウキビの生産がひろがり、やがてだぶついて価格が暴落し始めた地域でパイナップルが栽培された。
ハワイはパイナップルのイメージと強く結びついているが、実際は元々あったのではなく、アメリカの影響下になってドールが持ち込んだものである。缶詰製造技術の発達が手伝い、ハワイのパイナップル生産は一時期大いに栄えた。また、ハワイの「楽園」のイメージを前面に押し出したキャンペーンにおいてもパイナップルは重要な小物としてよく登場する。アメリカの禁酒法時代にはソーダやジュースの消費が伸びてパイナップルジュースも人気だった。拡販のためにパイナップルを使ったレシピも紹介される。しかし、人件費の上昇などによってハワイのパイナップル生産は1960年代以降下火になり、主役は東南アジアなどに移ってゆく。
現在の世界のパイナップル生産国の上位は、ブラジル、フィリピン、タイ、コスタリカ、インドネシアの順である。ただし、ブラジルで生産されたものは大半が国内で消費されている。
中国、ケニア、ナイジェリア、インド、コートジボワール、メキシコでは生産を拡大させている。中華圏では、パイナップルを表す漢字の発音が「縁起がよく子孫が繁栄する」という意味の漢字の発音に似ていることから、新年にパイナップルタルトを食べる習慣がある。酢豚にパイナップルが入っていたり、豚の丸焼きに輪切りのパイナップルが添えられたり、ドライフルーツやピューレとしても利用され、世界各地で様々な料理に使われている。
随所に昔の絵やパイナップルを使った料理の写真が添えられている。多少翻訳もの独特の回りくどさを感じる部分はあるが、読みにくいというほどでもない。
現代では当たり前の存在になった食べ物だが、あの変わった見かけや独特のおいしさを改めて思うにつけ、考えなかなか個性的な果物である。パイナップルの話だけで一冊の本になるのかと思ったが、甘いだけではない、酸っぱさも秘めた歴史がそこにはある。
単行本、183ページ、原書房、2015/9/25
パイナップルの歴史 (「食」の図書館) [ カオリ・オコナー ]
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