著:小川 さやか
「目標や職業的アイデンティティを持たず、浮遊・漂流する人生はわたしたちには生きにくいものにみえるが、タンザニアの人々はこうした生き方がもたらす特有の豊かさについて語る。それは、職を転々として得た経験(知)と困難な状況を生き抜いてきたという誇り、自分はどこでもどんな状況でもきっと生き抜く術を見出せるという自負であり、また偶発的な出会いを契機に、何度でも日常を生き直す術であった…(中略)…生きていることからのみ立ち上がってくるような自信と余裕、そして笑いが彼らにはあった」。
最小生計努力と食物の平均化。互いに分け与える互助の精神が深く根付いてお互いに断れなくなっている村においては、全員が他人と比べて損をしないように努力いないことを競っていくようになり、結果として最小限の努力でギリギリの生計を維持しようとする社会になる。
過度に自然や社会を改変せず、未来の不安について必要以上に悩まず、自然のリズムで生き、いざというときには呪術なども使って努力する。そもそも、石器時代の狩猟民族は、農耕民族や現代人に比べて生活水準は低かったかもしれないが、労働時間は少なかった。
現代のタンザニアの都会では、ひとつの仕事で失敗しても何かで食いついないでいる人々が大勢いる。それが、より良い選択になっている。
ここでは、先進国の常識は通用しない。計画的に資金を蓄えたり、時間をかけて何かひとつの分野の知識や技能を極めることはリスクでさえある。
未来に対して計画的に臨むよりも、今可能なことに素早く挑戦すること、好機をとらえて素早く賭けることが必要になる。
何かで失敗しても別なことで食いつなぐ。身内の誰かがうまくいかなくても別の誰かがカバーする。儲かる商売をその時々で狙って、人々は流動的に動く。
その原理の延長で、商品を仕入れるために、香港経由で中国に多くのアフリカの人々がやって来る。
その一方、中国系の零細商人がアフリカで商売し、タンザニアの零細商人たちのライバルになってきたり軋轢がうまれる事態も生じており、中国人自体が中国製のコピー商品や偽物と同じイメージで語られている。ちなみに、日本製の品質の高さは認められているが、彼らには値段が高すぎる。
ここでは信用の概念も異なる。騙されたからといって警察に届けて解決するような世界ではなく、契約などは意味を持たない。信用がある前提で取引をするのではなく、交渉の過程で機敏に利害を調整してお互いに了解と信頼を勝ち得る。
コピー商品も、ブランド品だからということで買うのではなく、こんな安い値段で本物があるわけはないと理解したうえで、必要なものだから買う。違法であっても社会通念的に許される範囲や道義的に認められる境界がちゃんとあり、それは麻薬取引のような本当の違法なものとはきちんと区別されて認識されている。
そんな社会で、借りを回すシステムとしてエム・ペサが流行り、格安のスマホが短期間で普及する。そして、このようなアフリカでのその日暮らし(Living for Today)の経済学は、極めて新自由主義的であり、主流派の経済システムが生み出している矛盾や問題を解決する手段として機能している面がある。
まとまりという点でいえば、特別よくできているという本ではないかもしれない。しかし、扱われている中身は、非常に面白かった。しかも、著者自身が研究のためにアフリカで露店商をやったり、仕入れのために中国に渡る人々を取材したり、かなりいろいろな実地での裏付けがされている。
ここには、我々が常識と思っているものとは違う原理が働いている世界とそれを支えている人々の価値感や生き方が描かれている。とても考えさせられる本だった。
新書、224ページ、光文社、2016/7/14