著:宮崎学、文・構成:小原真史
この本はとても良かった。自作の無人カメラを駆使して自然界の動物の姿を撮り続けてきたカメラマンとその写真に共鳴した映像作家の対談をまとめた本。同時に、宮崎氏が撮影してきた自然の中に生きる動物の生き生きとした様子の写真がいくつも紹介されている。
クマ、フクロウ、キツネ、タヌキ、二ホンシカ、イノシシ、カラス、ヤマガラ、タイワンリス、ドブネズミ。全国で20台くらいの自動撮影装置を設置しているという。デジタルカメラになってからは比較的楽になったが、それまではかなり大変だったようだ。同業者から揶揄されることもあったという。
無人カメラがとらえた映像は、実に多彩な動物たちの生態をとらえている。同時に、野生の生き物が、実はかなり人間と接して生きていることをしっかり示してくれる。実際、人が歩いた後に同じ道をクマが歩く、といったことはしょっちゅうあるそうである。
また、現代の野生動物たちは、人間が作り上げた社会の仕組みや文明の存在に慣れており、当然のものとして利用している。冬季に大量にまかれる融雪剤の塩化ナトリウムに多くの動物が自然界では貴重な塩分を求めて群がる。廃屋の厠の後も同様に動物たちがなめにくる。噴水は水飲み場になる。田畑も、道路も、蛍光灯の光も、生ごみも動物たちにとって利便性や食料を提供してくれる。
少子高齢化と過疎化、さらには人間の自然界の生き物への意識の希薄化に、動物たちはうまく入り込み、利用している。
「地方都市近くの山に登ると夜の明かりもはっきり見えますし、街の音も聞こえてきます。そうした音や光は、寿命の短い動物たちにとっては、生まれた時から体験している、自然の環境になってしまっています。人間や人工物をまったく怖れない新世代がどんどん生まれる一方で、逆に人間の側は自然に対して無関心になってきています。人間社会の変化を敏感に察知した動物たちがこちらの無関心をいいことに、だんだんと接近してきているのです。動物と人間の境界線は、われわれが思っているよりもずっと手前にあることを認識しないといけない」(本書より)
自然はたくましい。環境が変わればそれに適した生き物が繁殖するようになる。福島第一原発の事故によって立ち入り禁止になった区域は、今や動物たちの楽園と化している。
環境の変化はある動物たちには有利になり、別な動物たちには不利になるということが繰り返される。幼い木が多いころには野ウサギが増え、木が生い茂ってくるとカモシカやシカが増える、といったように変わってゆく。
クマが人里に下りてくるようになった原因として、針葉樹が増えすぎて森の中の植物が減ったからだといわれるが、実際は植林地にはヤマブドウやキイチゴなどがたくさんあって、下草が刈られないからサルやクマのような立体的に森を使って生きる動物が好む餌ばかりになっていて、個体数が大幅に増えているのだという。
この本を読んで強い印象を受けたものに、生と死の存在がある。自然界では死は生と切り離されたものではない。生の数と同じ数の死があり、何かが死ぬと、いろいろなものが群がってくる。新鮮な肉を好むものがあれば、少し腐食したものを好むものもあり、虫も動物も、死にゆく個体を当然の食糧源として活用し、生命が維持され、様々な植物と動物のループが成立している。
長年、自作の無人カメラのシステムで自然と向かいあってきた著者の見識が、実際に撮影された数々の作品のエビデンスとともに、強い説得力をもって訴えかけてくる本である。
尚、Googleで検索すると、著者のWebサイトもあるようだ。写真は本書に掲載されているものとかなり重複しているので、まずは、ここらから見てもいいかもしれない。