著:ニッコロ・マキアヴェリ、訳:池田 廉
世界史を勉強したことのある人なら、名前くらいは知っているだろう。約500年前に書かれながら、カトリック教会の怒りを買い、一時禁書として扱われ、19世紀にようやくまともに読まれるようになってきた歴史的な著書である「君主論」の邦訳版である。
「そもそも人間は、恩知らずで、むら気で、猫かぶりの偽善者で、身の危険をふりはらおうとし、欲得には目がないものだ」
「人間は、恐れている人より、愛情をかけてくれる人を、容赦なく傷つけるものである」
「総じて人間は、手にとって触れるよりも、目で見たことだけで判断してしまう」
「人間は、父親の死はじきに忘れてしまっても、自分の財産の喪失は忘れがたいものだから、とくに他人の持物に手を出してはいけない」
「世の大多数の人間は、財産や名誉さえ奪われなければ、けっこう満足して暮らしてゆくものである」
「君主は、民衆を味方につけなければならない」
「人はささいな悔辱には復讐しようとするが、大いなる悔辱にたいしては報復しえないのである。したがって、人に危害を加えるときには、復讐のおそれがないように、やらなければならない」
時代の変化によって社会的な記述に関しては簡単には適用できない部分もある。ただ、よく見れば、人間の本質は時代が変わっても何も変わっていないことに改めて気づかされる。
その一方で、マキャベリ式の君主論は、なかなか活動的だ。どっちつかずの態度は強く戒め、変化する時勢に自分を一致させ、備えを奨励して、挙句の果てに戦争をやれ、とけしかける。
「大事業はすべて、けちと見られる人物の手によってしか成し遂げられていない」
「運命は女神だから、彼女を征服しようとすれば、打ちのめし、突き飛ばす必要がある」
「領土欲というのは、きわめて自然な当たり前の欲求である」
「新しい制度を独り率先してもちこむことほど、この世でむずかしい企てはないのだ」
「加害行為は、一気にやってしまわなくてはいけない。....(中略)...これに引きかえ、恩恵は、よりよく人に味わってもらうように、小出しにやらなくてはいけない」
「愛されるより恐れられるほうが、はるかに安全である」
「ともかく、君主は、たとえ愛されなくてもいいが、人から恨みを受けることがなく、しかも恐れられる存在でなければならない」
不愉快な名言も多いのに、ある種痛快な読後感も残るのは、あまりにもはっきり人間の本質を言い当てている点と、世や人のバカらしさを指摘しながらもそれを軽蔑せず、前向きなエネルギーに向けようとする意図がにじんでいる点だろう。その主張は、「マキャベリズム」という言葉を生んだ。
解説や訳注が丁寧で、文庫サイズで場所もとらず、1,000円未満で買えるのもありがたい。賛否はともかく、500年の時を超えて歴史に残った一冊であり、一度読んでおいても損のない著作であることは間違いない。
文庫、267ページ、中央公論新社、2018/2/23