著:別府 輝彦
「微生物の生態についての研究はいま新しい時代を迎えています。そこで重要になるのは、微生物がほとんどあらゆる生物との間にめぐらしている広い意味での共生関係と、集団としての微生物細胞間で働く遺伝子と化学信号を介するネットワークの拡がりです」。
微生物の本。もし何の制限もなく、一匹の大腸菌が分裂を続けられるとしたら、わずか48時間で子孫の大腸菌の数は地球の約4000倍になるという。かつてはその存在すらよく知られていなかった微生物研究は、近年大きな進歩を見せている。
自然界に存在する微生物の多くがコロニーを作らず培養ができない。しかし、今では遺伝子のDNAを個別に取り出してクローン化し、その配列から特徴を調べることができるようになった。
また、物質表面のぬめりのようなバイオフィルムにみられる集団的な特性だけでなく、地底や深海をはじめとする様々な極限環境にも微生物が存在していて独自のネットワークを築いていることも明らかになってきた。
かつて生物とは別だといわれていたウイルスについても、小型の細菌に匹敵するものが見つかって、しかもそれらの遺伝子配列が古細菌と真核生物の間で枝分かれしていることがわかってきた。
もっとも、人類は、発酵という形で細菌を利用してきた。日本酒、ワイン、チーズ、ヨーグルト、味噌など、発酵食品は地球上のいたるところにみられる。そして、そこから生じる「うまみ」の追及は、日本人研究者たちが先鞭をつけ、バイオテクノロジーの原点になった。微生物酵素は、今では、ジュースから洗剤まで幅広く利用されている。
ウイルスや微生物は病気の原因にもなってきた。ペスト、天然痘、結核、コレラ、インフルエンザ、梅毒、マラリア、エイズ。じゃがいも疫病は19世紀後半のアイルランドの飢餓をもたらした。
その一方で、細菌の研究は、農薬や薬の開発にもつながる。昨年、大村智氏がノーベル賞を受賞したエバーメクチンもそのひとつである。
しかし、感染症は進化しつづけている。抗生物質が効かない菌の登場。野生動物とヒトの間を行き来して変化するウイルス。秋葉朝一郎と落合国太郎の2つのグループが明らかにしたRプラスミド(薬剤耐性因子)は耐性菌問題の中心的な課題になると同時に遺伝子組み換え技術に不可欠な道具になる。
微生物と他の生き物との共生には、牛の胃袋でのセルロースの分解といった「細胞外共生」だけでなく、細胞の中に微生物が入り込んだ「細胞内共生」がある。また、宿主との関係が生存のために不可欠な「絶対共生」と、必須ではない「通性共生」がある。細胞内共生はミトコンドリアのような大きな進化につながる場合もある。
環境の中の微生物には、排水処理に活躍するものがある。また、バクテリアリーチングという微生物を利用した銅の精錬は、時間はかかるものの、設備が簡単に済むうえに、これまで経済的に引き合わなかった低品位鉱石も処理できるようになった。今や世界の銅の20~25%はこの方法を利用して生産されており、ニッケルやウラニウムへの応用も考えられているという。
微生物の中には、近年人間が作り出した難分解性物質を分解するものまで現れており、これを利用したバイオオーグメンテーションという技術は、わが国でもトリクロロエチレンなどの分解でわが国でも実用化されはじめているという。雪を降らせる細菌というのも紹介されている。
細菌は接合によって遺伝子をまわりの同種や異種の細菌に伝達できる(水平伝達)。接合の他にも、ウイルスを介した「形質導入」と、環境中に放出された裸のDNAが細菌に直接取り込まれる「形質転換」によって、種の壁を越える遺伝子の水平移動が発生する。このような水平伝達は、細菌が遺伝的多様性を獲得する上で重要な戦略になっている。
そして、微生物は地球上のどこにでもいる一方で、地理的に離れたものは遠縁になるといったような遺伝的な枝分かれがみられる。
発酵や病気と微生物の関係といったイメージしやすいものだけでなく、近年明らかになってきた研究成果を加えながら微生物の世界を紹介した良質の読み物になっている。
単行本、263ページ、ベレ出版、2015/11/2