密林の図書室

人生は短く、経験からのみ得られることは限られます。読書から多くのことを学び、アウトプット化も本との対話の一部として大切なものだと考えてきたので、このブログを立ち上げて日々読んできた本の備忘録として活用しています。

テンプル騎士団の謎 (「知の再発見」双書)

著:レジーヌ・ペルヌー、翻訳:南条 郁子、監修:池上 俊一

 

 第1回十字軍後、エルサレムへのキリスト教巡礼者の安全を守るために生まれた修道士&騎士の団体であるテンプル騎士団について解説した本。著者はフランスの中世史を専門とする歴史家。ビジュアル資料がたくさん載っており、わかりやすい。

 

 1118年にユーグ・ド・パイヤンが中心となった修道会が起源となる。その活動が評判となり、ボードワン2世からかつてソロモン王の建てた神殿跡地(テンプル)を提供される。

 ローマ教皇から独自の会則を持つことを許され、特定の国に属さず、10分の1税も免除され、ヨーロッパ各地にも管轄区域が拡がり、白い服に赤い十字架がシンボルとなってゆく。厚い信仰心に支えられた封建的な制度の中で農業にも従事し熱心に土地利用に取り組む。

 そして、盛り返したイスラム勢力と激戦を重ねて幾度と無く壊滅的な犠牲を強いられながらも、新たな総長を擁立してその伝統は引き継がれてゆく。しかし、中東のキリスト教勢力は次第に劣勢に立たされる。

 1291年にマムルーク朝の22万の大軍がアッコンを包囲。それ以外の拠点も明け渡され、テンプル騎士団は聖地を去る。

 

 その終わりは、唐突かつ悲劇的である。財政面で活動を支えた封建領主達からの多大な寄進及び事実上の銀行業で貯まった財産を、フランス王フィリップ4世が狙う。悪評や世論を考慮し周到に準備されて1307年フランス全土に突如発せられた一世逮捕の令。次々取り押さえられる各コマンドリー(管区を構成する農場や要塞を備えた地図上の単位)の騎士たち。奪われる金庫。異端審問。激しい拷問。いわれのない罪。火刑。ヴィエンヌ公会議。騎士団は消滅の道をたどる。

 

 しかし、処刑の際に総長ジャック・ド・モレーが、「2人を神の法廷によびだしてやる」と叫んだ通りのことがおきる。事実上騎士団を見捨てたクレメンス5世教皇が1ヵ月後に死去し、フィリップ4世も8ヵ月後に死を迎える。さらに、フィリップ4世の3人の息子たちも、いずれも世継ぎを持たずに亡くなったという。加えて、秘宝の噂や儀式の神秘性が脚色され、テンプル騎士団の名は伝説となって歴史に刻まれてゆく。

 

 時に対立関係になった他の騎士団についても言及されている。中東にやってくる巡礼者向けに十字軍以前からあった救護施設をルーツとした聖ヨハネ騎士団エルサレムの病院を起源とするが、もっぱらドイツ的な理想を追い求めたドイツ騎士団

 巻末にはテンプル騎士団が歩みをまとめた年表が載っている。西洋中世史へのロマンをかきたててくれる一冊である。

 

単行本、141ページ、創元社、2002/8/1

 

テンプル騎士団の謎 (「知の再発見」双書)

テンプル騎士団の謎 (「知の再発見」双書)

  • 作者: レジーヌペルヌー,池上俊一,R´egine Pernoud,南条郁子
  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 2002/08/01
  • メディア: 単行本
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