萩原さちこ
曲輪、土塁、空堀、竪堀、横堀、畝上竪堀、切堀、土橋、馬出、小口、横矢掛かり。城は、地形を最大限利用して築かれてきた。山城、平山城、平城、水城(海城)といった種類があるが、丘、山、尾根、峠、川、湖、海と、天然の地形を最大限に利用して作られてきた。
城は、高台から敵を見下ろしたり、いざというときに街道をうまく防げるように作れば有利である。ただし、城には戦略的に適した場所やそれぞれの役割や目的があり、単に標高が高いところに作れば良いというものでもない。ちょっとした標高差を利用してうまく築かれている城はたくさんある。古墳が利用されている例も少なからずある。
日本にはかつて3~4万もの城があったといわれるが、そのうち99パーセントが中世(平安から室町)に作られている。騎馬が中心だった時代には山城はなかったが、南北朝時代に南朝勢力が山岳部や山岳寺院を拠点として抵抗したこと、歩兵勢力が重要になったことで戦い方が変わり、応仁の乱以降は山城が増えてゆく。
本書は、城の特徴と魅力が地形を最大限生かした防御能力にある点を力説しながら、実際の地形と城の関係の例を、カラー図解と写真でいくつもとりあげて説明した本である。
北条氏は本城を中心として支城を網の目のように領国内に巡らせて統合支配するネットワークを形成していた。
織田信長は安土城をはじめ琵琶湖の東西南北に城を作って近江から各地に軍を派遣しやすくしていた。
月山富田城は、この城の難攻不落さもさることながら、周囲の「尼子十旗」と呼ばれる家臣団の10の支城が果たしていた役割も重要で、白鹿城が落ちた時点で月山富田城の落城も時間の問題になっていった。
城を攻めるには周囲にいくつも付け城を築いて包囲するが、多重土塁が作られた跡も見つかっている。賤ケ岳の戦いでは陣城が駆使されている。
関ケ原の合戦では、小早川秀明・毛利秀元らが周到な陣城を築いていたのに対して、石田三成・宇喜田秀家・小西行長らには陣城が見られず、彼らは周到に用意してここを合戦の場としたわけではない可能性が高いといえる。
著者が実際にたくさんの城を回って得られた知見が交えてあり、関東の城は滑りやすい関東ローム層があるので小規模の土塁でも登ろうとすると大変、というようなことも書かれている。意外にボリュームもある。なかなか面白かった。
新書、312ページ、マイナビ出版、2018/9/14
[カラー版] 地形と立地から読み解く「戦国の城」 [ 萩原さちこ ]
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