編集:音楽の友
タイトル通りの本。過去の海外オーケストラの来日公演の際などに各楽団のコンサートマスターにインタビューしたものをまとめて収録している。基本的に、1人2ページの構成。51人のコンサートマスターの説明から、多忙で重責を担う現代のコンサートマスターの役割が見えてくる。いくつか、引用する。
「コンサートマスターはたしかにフル・スコアも予習しますが、毎回、指揮者と同じほど詳細にやっていたら時間が足りなくなります。ですから、やはり指揮者は必要なのです」(バート・ヴァンデンボーガルデ、バンベルク交響楽団)。
「今日では指揮者がいきなりやって来てリハーサルを始めますが、ヴァントの場合、本番の1週間くらい前に、私が彼の自宅を訪ねて綿密な打ち合わせをしました。私がヴァイオリンでさまざまなパートを弾きながら、運弓やフレージング、テンポ、デュナミクなど、様々な素材を整えていったのです」(ローラント・グロイダー、ハンブルク北ドイツ放送交響楽団)。
「コンサートマスターは指揮者の右腕的存在で、指揮者の意図を体で表現したり、大きな室内楽団のようなオーケストラ内部で、指揮者の振る棒だけでは伝わらないような事柄を伝達するような役割を果たします」(ダヴィッド・シュルタイス、バイエルン州立管弦楽団)。
「コンセルトヘボウ管のメンバーは全員がソリストだと思っています。彼らは機械の部品ではない。音楽的知性の高い人たちです。たとえ意見が違っていても、他に対する敬意は失いません」(リヴィウ・プルナール、ロイヤル・コンセルトヘボウ)。
「トーンハレ管は弾く音符の総数が少ないのにリハーサルは多い、歌劇場はレパートリーも多く、相当数の音符を弾いているのにリハーサルは少ないのです。それぞれ長所と短所があります。リハーサル時間が多いと細部までみっちり仕上げるため本番で失敗したときなど、攻撃性すら感じます。その点、歌劇場のおおらかな雰囲気は間違えても許されるため、まず音楽として感覚で捉えて演奏する自由を得られます。それから伴奏は歌劇場の方がやはり上手いです」(バルトゥオミ・ニジョウ、フィルハーモニア・チューリッヒ)。
「コンサートマスターの仕事は、通訳にもたとえられる。指揮者の表現したいことを自分の演奏で楽員に伝え、みんなが共有できるようにします」(オリガ・ヴァルコワ、マリンスキー劇場管弦楽団)。
「私の考えるコンサートマスターの仕事は、みんなの耳になることです」(ラウラ・マルツァドーリ、ミラノスカラ座フィルハーモニー)。
「フランスのオーケストラですから、無秩序だという問題はいつもありますけど(笑)。…(中略)…指揮者によって読譜が違うのは当然ですが、自分の視点がない人は最悪です。それでは曲に意味を与えることができません」(デボラ・ネムスタ、パリ室内管弦楽団)。
「コンサートはのびのび弾いていますが、リハーサルはいちばん大変です。プレッシャーがありますし、フランスなので、みなさんいろいろ意見があって(笑)」(本田早美花、ストラスブール・フィルハーモニー)。
「コンサートマスターにはいろいろなタイプがいるので、それぞれが自分の道を見つけなければいけないと思う」(堅本大進、ベルリンフィル)。
「コンサートマスターになったのは単なるラッキーです。人生は運と縁でしょう」(篠崎史紀、NHK交響楽団)。
最初からコンサートマスターを目標にしていた人もいるが、ソリストからの転身組も多い。
ミュンヘンフィルのローレンツ・ナストゥリカは、ストリートミュージシャンとしてバイオリンを弾いていて、お金がわずかしかないのに弦が切れ、楽器屋に行ってE線を買おうとしたが結局タダでもらい、お礼にモーツァルトを弾いていたら、奥から年配の人が出てきて、翌日練習場に呼ばれてオーディションになっていきなりコンサートマスターになった、というすごいストーリーの人もいる。
指揮者のサポート役、自分のパートだけでなく総譜の理解、オーケストラのまとめ役、出だしのタイミング、指揮者が間違えたときにオーケストラが混乱しないようにコントロールする、ソロパートの演奏など、コンサートマスターの役割は多い。現代では優秀なコンサートマスターは大変忙しく、複数の楽団を掛け持ちをしていることもある。伝統のある楽団、歌劇場、主席指揮者の個性によっても変わる。音楽性だけでなく、人間性も重要な要素になる。
楽器を扱う業者の話や、コンサートマスター及びオーケストラの近年の潮流についても書かれている。
ムック本、音楽之友社、151ページ、2019/11/18