密林の図書室

人生は短く、経験からのみ得られることは限られます。読書から多くのことを学び、アウトプット化も本との対話の一部として大切なものだと考えてきたので、このブログを立ち上げて日々読んできた本の備忘録として活用しています。

朝鮮王公族―帝国日本の準皇族 (中公新書)

著:新城 道彦

 

 朝鮮王公族についてまとめられた本。朝鮮王公族については今までも宮家や華族を扱った本で一部取り上げられたりしてきたが、これだけで一冊になっているものはなかなか貴重である。

 結論から書くと、大変真摯に書かれてあり、当時の日本と朝鮮の関係を準皇族という軸から知る上で有意義な本となっている。

 

 財政破綻している朝鮮を併合することによる経済的な負担への懸念が強くあり、実際にその懸念は現実となったものの、1910年8月に日本は安全保障上の理由を優先して朝鮮を併合する。

 朝鮮併合の過程で、日本側は西洋式の主権国家の手法を重視しつつ、大韓帝国皇帝一族李氏の懐柔と扱いに神経を使う。

 朝鮮側の交渉役に立った李完用は、朝鮮王公族待遇の確保と国号及び王の尊称を残すことを条件とし、最終的に韓国併合を受け入れた。朝鮮併合を進めたい日本の思惑を見透かし、好待遇を勝ち取った、といってよい。

 そして、朝鮮貴族という身分が作られ、王族・公族の身分は大日本帝国では準皇族扱いとされる。こうして、身分の保証と、それに伴う多額の財務的な支援が定められた。

 日本側の気の使いようは相当なもので、併合条約が公布された日に東京を出発して昌徳宮に向かった勅使は、席次の問題が生じないように南北ではなく東西に向かい合う形で李王と会っている。

 朝鮮併合というとまるで力づくで無理矢理実施されたような印象が我々には刷り込まれているが、そんなことをしても反発が大きくなるだけでうまくいくはずもないから実際はそのようなことはなく、このように、日本は朝鮮王公族の地位とその扱いについて実にいろいろな配慮を行って取り込んでいったことが本書を読むとよくわかる。

 

 ただ、朝鮮王族への融和的な対応が裏目に出ることもあった。李太王の死去に際して葬式を国葬扱いとして朝鮮人を懐柔しようとしたところ、集会が禁じられていた筈の朝鮮で葬儀見物に人々が集まって3.1独立運動が起きるきっかけになってしまう。しかもそのときは、日本式葬儀の方は空席だらけで、朝鮮式葬儀の方はおおいに人を集める結果になった。

 また、日本の皇室制度も全体が最終的にまとまったのは実は大正時代に入ってからであり、朝鮮王公家の扱いをめぐっては時々意見の対立が生じたこともあった。

 

 ひとくちに朝鮮王公族といっても人によってかなり個性があり、放蕩をしていた者もいたようだ。また、朝鮮王公族側にも様々な思惑や複雑な感情があったことが推測されている。

 ただ、少年のときから日本人として過ごし準皇族として同化した第二世代たちは、自明のこととして王公族の安定した地位を受け入れており、戦後の混乱期にはかなりの苦労を経験することになる。

 

 このような経緯があるので、のちに韓国初代大統領の李承晩は、李王家に対して敵対的な姿勢をとった。

 ただしその後、1961年に朴正煕が日本に寄って病身の李垠に花束を贈呈し、その妻の方子にいつ帰国しても構わないと伝え、翌年に李垠は韓国の国籍を回復している。

 

 日本にとって朝鮮併合における、朝鮮皇室の処遇の問題は非常に繊細で重要なものであったことがよくわかる。ちなみに、この本が出版された2015年は、終戦70年、日韓条約50年の年にあたる。

 日韓併合が行われたとき、朝鮮半島は李王朝が支配する王国であった。その王朝の人たちがその後どのようになったのか、日本側が彼らをどのように扱い懐柔していったことについては、あまり正しく理解されていないようにあると思う。それは日本側だけでなく、韓国においても、元李朝の人たちが国を日本に譲り渡すときに正規の交渉を行って手厚い支援の約束の見返りとしてその立場を受入れ、葛藤はあったものの、実際に比較的厚遇を受けてその立場を享受していた事実は、感情的かつ頭ごなしに国賊扱いのレッテルを張られて丸められており、正しく認識されているとはいいがたい。

 近年なにかと騒がしく、ともすると感情的に単純化されて語られることもある日韓の歴史問題を正しく理解する上で、役立つ材料を与えてくれる本である。

 

新書、256ページ、中央公論新社、2015/3/24

朝鮮王公族―帝国日本の準皇族 (中公新書)

朝鮮王公族―帝国日本の準皇族 (中公新書)

  • 作者: 新城道彦
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2015/03/24
  • メディア: 新書