著:ヘルベルト・ブロムシュテット、インタビュアー:ユリア・スピノーラ、翻訳:力武京子、監修:樋口隆一
90歳になりながら、世界各地で年間80回のコンサートを行っている指揮者ブロムシュテットについて、対談を中心に紹介した本。厳格なアドヴァンティスト派のキリスト教徒で、その教えに従って土曜日を安息日として守り続け、菜食主義者でもある。
プラハの春をきっかけに首席指揮者を失った東ドイツ時代のシュターツカペレ・ドレスデンに客演し、気に入られ、いろいろな経緯ののちにこの伝統あるオーケストラを引き受けることになったこと。
もともとリヒャルト・シュトラウスは全く演奏しなかったのに、カペレの楽団員たちによって、その音の響きの独自性や魅力を知ったこと。『アルプス交響曲』を、「人生の大いなる比喩」と述べている。
「ドレスデンでの15年間は、信じられないほど多くのことを学んだ素晴らしい時期だったといわざるをえません」。
「シュターツカペレ時代は、私にとってそもそも通り抜けなければならない試練のときだったのです」。
サンフランシスコ交響楽団の音楽監督になって街を散歩していると、ホームレスが寄ってきて、「マエストロ・ブロムシュテット、ようこそサンフランシスコへ」と言われて、このオーケストラが生活に根付いていることを知ったこと。
マズアが30年近く統率していたライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を引き受け、管理業務を切り離し、サンフランシスコでやったのと同じくバイオリンの配置を第一バイオリンと第二バイオリンが左右に開く形に戻すなど、多くのことを切り替えたこと。
音響とテンポの関係の話は面白かった。メンデルスゾーンは速くてしなやかなテンポを好み、ワーグナーは音響のイメージを紡ぎだすために必要なら時間をかけてゆっくり演奏すべきだと考えていたこと。
前者はライプツィヒ、後者の伝統を引きつぐのはドレスデン。ブロムシュテットはワーグナーからフルトヴェングラーに続く音色がテンポを決定するという考え方には部分的にしか賛成しておらず、ドレスデン時代にはそちらも試していたが、自分はメンデルスゾーンの伝統に属する方だと断言している。
生い立ちについても話をしている。父親は厳格な牧師。母親は元ピアニスト。フィンランドの学校ではスウェーデン系ということで威嚇されたこともあるそうだ。
少し変わっていたことが自分の個性につながったという認識を持っている。高校卒業試験にも2年早く合格し、飛び級で大学に行っている。
ジョン・ケージのエピソードも面白い。ハイキングでキノコを指して、「ほら、キノコも偶然の法則によって育っているんです。きちんと並んでいなくて、あっちにもこっちにも生えているのでしょう。自然は、人間の理性とは異なる法則にしたがっているのです」と言われて、彼の求めているものを理解したという。分析的・実践的なマルケヴィッチを師匠として尊敬している。
「立派な音楽にはつねに脈略があります。その脈略を見つけ出さねばなりません。それが大事なのです」。
ベートーヴェンのスコアに基づく楽曲への取り組み方の説明はなかなか指揮者らしい。バッハの音楽に作曲家の私的な部分を見出し、特にミサ曲ロ短調について高く評価しているところもある。全編を通じて、ステンハマルのことによく言及されている。
「チャイコフスキーの中には多分にモーツァルトがひそんでいます。仰々しい表現を避けているのです。チャイコフスキーは繊細に指揮しないといけません」。
かなりの読書家で、書庫には数万冊の本があり、中には貴重な本もある。日本のNHK交響楽団が最初に来日したときよりずっと良いオーケストラになったとし、N響アワーらしいものについて絶賛している箇所もある。
個人的に、ブロムシュテットのコンサートは何度か足を運んだことがあり、特にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団との来日公演のメンデルスゾーンの交響曲第4番とブルックナーの交響曲第7番の名演は忘れられない。
まじめで、こだわりで、インタビュアーとの信頼関係に基づいて記述された内容であることがよく伝わってくる。
単行本、264ページ、アルテスパブリッシング、2018/10/22