密林の図書室

人生は短く、経験からのみ得られることは限られます。読書から多くのことを学び、アウトプット化も本との対話の一部として大切なものだと考えてきたので、このブログを立ち上げて日々読んできた本の備忘録として活用しています。

日本・韓国・中国の考古学的な資料や出土品を丁寧に検証。入念かつ具体的に書かれた朝鮮半島の正しい古代史。『知っていますか、任那日本府』

著:大平 裕

 

 入念な調査と史料の読み込みに基づいて書かれた古代史の本である。真摯かつ具体的に書かれており、適時地図や表として几帳面にまとめられている。本来、歴史を扱う本とはこのようにあるべきであろう。主張の中身は最近広く認識されてきている内容と大方合っているので、日本と韓国の古代史に関する近年の研究成果についての総まとめ的な読み方もできる。

1.前方後円墳:1980年代以降、朝鮮半島で前方後円墳が14基見つかる。その地は、『日本書紀』が記す任那の6県の位置と一致する。前方後円墳は日本で独自に発展したもので、造営年代も韓国の方が後であることから、倭が由来であることが定説となっている。


2.竹幕洞遺跡他:司祭後として、日本製としか考えられない石製模造品が出土している。百済がこの地に南下するのはAD500年以降であるため、三国時代のものではない。また、同様に、韓国の西海岸から南の釜山・金海には、三輪山祭祀遺跡などから出土している手づくね土器と同じものが数多く出土している。沖ノ島との類似性も指摘されている。


3.広開土王碑:朝鮮半島での倭の活動を直接示す記述が多い。任那の文字もある。戦後になって韓国系の学者がこの部分は日本の将校によって改ざんされたのだと主張したが(そもそも日本のひとりの軍人にこのようなものを改ざんできるほどの知識があったのだろうか)、2006年に中国の学者によって中国吉林省で正確な拓本が見つかり、韓国系の主張するような改ざんなど無く内容は拓本と完全に一致することが判明した。


4.中国の史書:『後漢書』倭伝、『魏志倭人伝』、『後漢書』韓伝、『三国志』魏書韓伝、『三国志』魏書弁辰伝に存在している、倭と任那の前身である狗邪(伽耶・加羅)韓国の各種の記述は、明らかに朝鮮半島内に地続きになっている倭の国があったことを示している。また、『宋書』倭国伝では、倭の王武が宋朝より使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王に封じられていると書かれており、実効支配無しにこのようなことが宋によって認められたとはまず考えにくい。

 


5.朝鮮の三国史記:高句麗本紀、百済本紀には伽耶・加羅諸国の記述なし。新羅本紀には「伽耶が人質を送ってきた」というような記述が散見されるが、内容も単純で行数も限られる。ただし、朝鮮半島現存の最古の歴史書であるが、1145年と書かれた時代が大変新しい。


6.日本書紀:欽明天皇時代の2年〜15年(百済の聖明王が薨去)の13年間だけでも任那は129回登場。

 高句麗の名はBC108年に『韓書』地理志、『後韓書』高句麗伝に登場する。しかし、百済と新羅についてはAD300年を迎えてもまだ馬韓、辰韓、小国家群が存在する地域名に過ぎなかった。朝鮮半島が本格的に「三国時代」を迎えるのは4世紀以降である。

 このような朝鮮半島の群雄割拠の時代に、朝鮮半島南部に倭の支配地域があったとしか考えられないことを著者は丁寧に明らかにしてゆく。韓国の学術論文をよく読んで基本的な矛盾を指摘しているところもあるし、実際に朝鮮南部の関連史跡を自身で見て回ったことも写真付きで紹介されている。巻末には年表がまとめられている。

 また著者は、次のように『日本書紀』の歴史的資料としての重要性を指摘し、そこに記述されている朝鮮半島での出来事を読み解いて詳細に説明している。

・全30巻は10のグループに分かれ、組織的に編纂されていて一人の独断的な構想ではありえないこと。
・暦に関しては雄略天皇紀以降は元嘉暦(451年導入)によって記録されており、紀年の確実性が増していること。
・朝鮮半島の記録については、百済からの亡命、帰化、移住民が大和朝廷に献上した『百済記』『百済新撰』『百済本記』が挿入されていて、同時代としての史料的価値が高いこと。

 戦前・戦中の反動で、戦後の日本では『日本書紀』と『古事記』の記述は否定的に論じられ、それが一人歩きして記紀軽視の空気がこの国を支配するようになった。そのような中で、任那が倭国の影響下にあったという学説はタブー視され、民族主義的な動機の影響を受けがちな韓国の学会はこれに乗じてきた。確かに当時の大和朝廷が書いたものなのだから自分たちに有利に書かれている面は当然あるだろうが、当時の国家を挙げて編纂された史料をまったくのでっち上げとするのはやはり不自然であろう。そもそも、「広開土王碑」や前方後円墳などの考古学的な資料、中国の史書も併せて考えると、韓国の主張は無理がある。大変勉強になった。

 それにしても、前方後円墳を発掘調査で3つに分断して、3つの円墳だったと主張する韓国の学者の研究手法には驚かされた。

 

単行本、259ページ、PHP研究所、2013/9/12

知っていますか、任那日本府

知っていますか、任那日本府

  • 作者: 大平裕
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2013/09/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)