密林の図書室

人生は短く、経験からのみ得られることは限られます。読書から多くのことを学び、アウトプット化も本との対話の一部として大切なものだと考えてきたので、このブログを立ち上げて日々読んできた本の備忘録として活用しています。

ピクルスと漬け物の歴史

著:ジャン・デイヴィソン、訳:甲斐 理恵子

 

 2015年の世界の漬け物市場の取引額は110億ドル以上にのぼった。そのうち4分の1を日本が担い、僅差でアメリカが追っている。この両国だけで世界の漬け物市場の半分近くを占めるという。それに、メキシコ、ブラジル、ドイツの3か国を加えた5か国がトップファイブになる。

 

 世界の漬け物の歴史の本。日本ではピクルスと漬け物は別ものという感覚が普通だが、英語のPickleではどちらも含み、野菜をはじめとしたさまざまなものを漬けて発酵させて食するという点では同じなので、キムチなどそれ以外の様々な世界の漬け物類を含めてひとつとして扱われている。

 

 世界中の漬け物が登場するが、東アジアは「漬け物の世界の最強地域」とされており、その中でもとりわけ日本の漬け物に関する記述が多い。

 江戸時代末期に日本に渡った西洋の旅行者は、日本の「漬け物の種類の多さに圧倒された」という。その代表として、1858年に日英通商修好条約のために来日したエルギン伯爵の記録を紹介している。

 日本では福神漬けがカレーに添えられ、梅干しは何よりも特別な漬け物だとされている。猛毒のフグの卵巣を、手間をかけて3年以上にわたって漬け物にすることで無毒化できることを発見するまで、おそらく多くの犠牲者が出たことだろうと、著者は驚きをもって紹介している。

 中国では紀元前7~11世紀にさかのぼる『詩経』に塩で漬けた食べ物が登場する。ただし、当時の中国には酢はなかったとされる。

 

 地中海沿岸では、古代に様々な漬け物の技術があったらしい。その技術は、アラブ、エジプト、ギリシャ、ローマに継承される。

 古代エジプトの壁画には、鳥や魚を濃度を濃くしたらしい海水を利用して漬け込んでいる様子が描かれている。ギリシャのパピルスに記録された食べ物にもいろいろな漬け物が登場する。

 古代ギリシャや古代ローマでは、あらゆる食べ物が塩水か酢に漬け込まれた。果物を漬け込んだイタリアの「モスタルダ・ディ・クレモナ」はその遺産である。種を抜いて詰め物をしたスタッフド・オリーブは、フランス人のおかげであるという。

 古代メソポタミアの人々も漬け物を好んだ。野菜の漬け物だけではない。イナゴやトノサマバッタが生きたまま陶器のツボに入れられ、塩水で漬けられた。イナゴの漬け物は美味な軽食として人気であったらしい。

 

 8世紀にイベリア半島を征服したアラブ人は、異国の食材や調理文化を持ち込み、その後スペインで一般的になったナスの漬け物もその中にあるようだ。

 食べ物を酢や塩に漬け込んで保存し、発酵させて食べる、というアイディア自体は世界中に存在していたとみられる。ラテンアメリカにも、メキシコの唐辛子の酢漬け、ペルーの国民食のセビチェといったものがある。インドとイギリスについてもページが割かれている。

 

 ヨーロッパではオランダを中心にニシンの酢漬けが専用加工船によって大量に製造されるようになり、重要な食料になった。

 キュウリは17世紀まで人気がなかったが、漬け物として人気が出るようになってから、やはり比較的新しく400年程度の歴史のザウアークラフトとともに近代ヨーロッパの基本食となった。ザウアークラフトの場合は、遠洋航海の船乗りの壊血病防止に役立った。

 

 新大陸に移住した人々は、様々なものを酢や塩水に漬け込んだ。20世紀に入って低温殺菌や冷蔵保存が発達すると、経済的に困窮していたイリノイ州の夫婦が、小さめのキュウリを薄切りにしてスパイスと酢のきいたシロップに漬け込んだピクルスを「ファニング・ブレッド・アンド・バター・ピクルス」として商標登録する。

 さらに、北米では、トマトの漬け物を煮詰めたソースとしてケチャップが生まれ、唐辛子にビネガーを加えて発酵させたタバスコが登場する。

 もっとも、漬け物の取りすぎは胃癌の原因になることが指摘され、大量の塩分を含む漬け汁は廃液として環境破壊をもたらすとして塩分を減らす工夫がなされてきた。

 

単行本、192ページ、原書房、2018/9/20