密林の図書室

人生は短く、経験からのみ得られることは限られます。読書から多くのことを学び、アウトプット化も本との対話の一部として大切なものだと考えてきたので、このブログを立ち上げて日々読んできた本の備忘録として活用しています。

カズオイシグロらしい長編。「浮世の画家 (ハヤカワepi文庫)」

著:カズオ イシグロ、訳:飛田 茂雄

 

 「わたしを離さないで」「日の名残り」の2つの長編が素晴らしかったので、こちらも読んだ。イギリスと日本という違いはあるが、舞台となっている時代は「日の名残り」と同じで、戦争を挟んだ環境の変化と老境を迎えた主人公の心情を扱っているという点でも類似点がある。

 カズオ・イシグロの作品は「喪失感」という形容でよく評される。それは確かに間違いではないが、それだけでもないように思う。与えられた時代と環境及びその変化の中で、比較的時間軸を自由に動かしやすい回想という形をとりながら、過去に対する自信と悔いが交錯する心理が微妙な揺れを伴いながら語られてゆく。どんな人間も時の流れを止めることはできない。ひとつの時代が終わったとき、時折照らされる登場人物たちの心のひだや、主人公を通じて、次第に普遍的なテーマが浮かび上がってゆく。

 それから、この小説は、どこか、小津安二郎の映画の雰囲気に似ているな、と読みながら思った。実際、訳者あとがきによると、カズオ・イシグロが日本を舞台にした小説を書くときに思い出すのは、幼いころの記憶と小津安二郎の作品だという。それにしても、抑制の効いた静かな文体を駆使して丁寧に人々を描くこの作者の力量は見事というしかない。大変優れた作品である。

 

文庫、319ページ、出版社、早川書房、2006/11/1

浮世の画家 (ハヤカワepi文庫)

浮世の画家 (ハヤカワepi文庫)