著:似鳥 昭雄
「父は余り成績のことを言わなかった。『おまえは頭の悪い人間が結婚して生まれた子だ。だから勉強ができないのは当たり前だ』というのが理由だ。もっとも後がある。『だから人より努力するか、人のやらないことをやるかだ』」。
日本経済新聞連載時から話題になっていたニトリホールディングスの創業者である似鳥昭雄氏の「私の履歴書」を、大幅に加筆修正して出版した本である。連載には入りきれなかったエピソードや、後で思い出した秘話を盛り込んでいるという。
創業者の自叙伝はいくつも読んでいるが、この本はその中でも指折りの面白さである。特にあとがきにおいて、話題になった連載中に「品のない過去の行為に批判があったことも承知している」と述べられているような若い頃の破天荒な行動は、目を丸くして読んだ。
樺太生まれで開拓民の4代目。日本の敗戦後、母親は札幌でヤミ米を販売して糊口をしのぐ。学校ではいじめられ、いじめられてもニタニタしているので「ニタリくん」と呼ばれる。両親からは殴られながらこき使われる。通信簿は5段階の1か2ばかり。しかし、こういう環境で、たくましく生きてゆく方法を覚えてゆく。
当時のひとつひとつのエピソードを現代の価値観で批判するのは簡単だろうが、著者のこのアグレッシブな生き方は大変魅力的である。なんだかんだと高校時代には珠算大会で優勝したりしており、本当に地頭が悪かったとは思えない。
創業時における数多くのドタバタ劇にも、修羅場のような話がいくつも登場する。営業部長の商品横流しのように、組織的な内部犯罪といえるようなことに対峙しなければならなかった苦労も綴られている。
また、高校時代は「女番長」だったという似鳥氏の奥さんの度胸と商才も、ものすごい。「振り返ると『内助の功』のエピソードには事欠かない」という。
27歳のときの米国視察は成長の転機になる。銀行とのねばりの交渉。出店と失敗のエピソード。そして成長。79年組の入社。
「成功体験など現状を永久に否定して再構築せよ。守ろうと思ったら、衰退がはじまる」などと語り、生涯の師となる渥美俊一氏との出会い。「渥美先生なしでは私の成功はなかった」という。
チェーン経営導入への猛勉強。ホームファニシングへの道。30年計画。インドネシアやポーランドやベトナム。妬みとの対峙。北海道から本州への進出。
ホンダの杉山氏との出会いと手腕。台湾への出店。中国系社員の活躍。ユニクロのようなSPA(製造小売り)企業への転身。株式を巡る肉親との法廷闘争。「3倍になったときに壁をやぶれるかどうか」という、「1・3の法則」は印象に残った。
この本のタイトルは著者がつけたものらしい。ニトリの成長は運が80%だという。しかし、「運は、それまでの人間付き合い、失敗や挫折、リスクが大きい事業への挑戦など、深くて、長く、厳しい経験から熟成される」とも述べられている。本書を読み終えて、改めてこの最初の分を読み返すと、著者の言いたいことがよくわかった。
単行本、320ページ、日本経済新聞出版社、2015/8/26
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