著:板倉 光馬
日本海軍潜水艦で、潜水雷長(イ69)、艦長(イ176、イ2、イ41)、さらには人間魚雷回天の指揮官を務めた元海軍中佐の回想録。
半分以上は、戦争前の記録である。貧困家庭で育ち、猛勉強で海軍兵学校に入り、「酒乱」として数々の武勇伝を残しながら成長する。練習艦での航海。加賀での奮闘。また、これらを通じて、一流の潜水艦乗りになるためにはいろいろなキャリアと歳月が必要だったことが伺える。
太平洋戦争では、何度も生死の境に立ちながら、機転を利かせて乗り越える。真珠湾攻撃では防潜網から危機一髪の脱出。濃霧のキスカ島撤収作戦。トラック島沖では、攻撃態勢に入ったB-24に対して、とっさに帽子を振って味方と間違えさせてその隙に潜水して難を逃れるという、すごい奇策をとっている。
機雷網とレーダーによる哨戒を突破しなければならないブーゲンビル島への輸送作戦は、昼は水上航走で夜に潜航という逆転の発想とサンゴ礁際の航行で切り抜ける。
派手な攻撃作戦は登場しない。なぜか昭和17年については活動の記載がない。一方、戦争の中期以降は、制空権、制海権とも米軍の手に落ちる中で、孤立した島々への危険な物資搬送作戦をこなす様子が描かれている。これが、苦しくなる戦局の中で日本の潜水艦が担っていた大きな役割でもある。
最後は人間魚雷回天の指揮官を務める。散ってゆく若者たち。自身も出撃を望むが、替わりの指導者不足で叶わない。そして終戦。鮫島元中将との戦前、戦中、戦後につながる縁には感動した。
「人間の運命ほど予測できないものはない。いや、神秘のままでよいのだ。わからないからこそ、明日に向かって前進することが出来るのである」。
基本的には個人的な回想録であるが、日本海軍の潜水艦乗りの実態及び回天に関する貴重な記録にもなっている。
文庫、273ページ、光人社、2011/2/1