著:島田裕巳
2017年12月に東京八幡宮で元宮司が現職の宮司を殺害した事件が発生した東京八幡宮は様々なところから寄付等が入っており大変豊かな神社だった。しかし、世の中の神社の多くは2016年に神社本庁総合研究所が公表した資料によると、アンケートで明らかになった全国の宮司の最近1年間の各神社の収入は以下のような状態だという。
・なし: 2.60%
・10万円未満: 8.99%
・10万円以上100万円未満: 28.24%
・100万円以上200万円未満: 21.35%
・300万円以上500万円未満: 8.96%
・500万円以上1000万円未満: 9.44%
・1000万円以上5000万円未満: 2.45%
・1億円以上: 2.40%
確かに、豊かな神社はあるが、300万円以未満の収入しかない神社が全体の61.8%を占めている。宮司自身の年収調査も行われているが、各神社で一番上の位である宮司ですら民間平均年収より低い。
そもそも、神社というのは、歴史的には多くの一般人のイメージよりも、かなり複雑な変遷をたどってきた。今のような神社のイメージが確立したのは、実に、戦後に入ってからである。
日本が戦争に負ける前は、神社は信仰の自由が認められた宗教ではなく、国家機関であり、内務省神社局が管理した。靖国神社は帝国陸海軍が管理した。
しかし日本の敗戦によって事情が変わり、GHQの政策によって、宗教のひとつになった。そして、神社本庁という組織が誕生し、伏見稲荷大社のようにそこに加入しない神社もできてきた。
さらにたどれば、明治維新の前には神仏習合という神社と仏教の習合の時代が長く続いていた。
もっとさかのぼれば、神社というのは本堂もなく、沖ノ島に痕跡が残っているように祭祀が行われるときにのみ神は磐座に降臨するとされた。加えて、神社における神というのは、崇拝の対象としてというよりも、元々は祟りや怒りや不可思議な力を恐れて作られた経緯すらあるという。
伊勢神宮についても、天皇が直接参拝するようになったのは明治時代が最初であり、伊勢参りでブームになったのは江戸時代になってからのことである。
いろいろな歴史的な背景について説明した後、著者は、世界的に宗教離れが起きている中、神社の未来も厳しい、と指摘している。
全体の内容は悪くない。ただ、この本、まとまりがあまりよくない。歴史的経緯も時系列になっていないのでわかりにくい。また、このテーマで東京八幡宮の殺人事件にこんなにページを割く必要があったのかもわからない。
尚、本書には、「イスラム教に、宗派や教団のような組織が存在せず」と書かれているところがあるが、スラム教には「シーア派]と「スンニ派」という2大宗派を中心としたいくつもの宗派(sects/denominations)がある。本書のこの説明は、宗教学者を名乗っている人としては、あまりにも初歩的すぎるレベルの間違いである。
新書、224ページ、新潮社、2018/8/8