著:畠山 清行
「私は、『埋蔵金を掘りたい』という人がくると、まず『およしなさい』ということにしている。なぜなら、一歩踏み込んだらなかなか抜けられず、家も屋敷も財産もぶちこんでしまうからだ。赤城のように、証拠めかしいものでも出ればなおのこと、あと3メートル、あと2メートルと掘り進み、ついには抜きさしならなくなるのである」。
何しろ埋蔵金の本なので、もっと怪しいものかと思っていたら、そうではなかった。埋蔵金研究の第一人者(既に亡くなっている)が、50年にわたって日本全国の埋蔵金について調査してきたフィールドワークの集大成である。いろいろな証言を集めて、真面目に、ち密に書かれている。著者によると、埋蔵金には以下の4つの種類があるという。
1.敗軍の将が、再起のための軍費として埋めたもの
2.武将、あるいは地方の豪族などが、子孫にあたえるために埋めたもの
3.海賊、山賊などが、隠蔽の目的で埋めたもの
4.豪商、あるいは裕福な武士が、一時保存のために埋めたもの
実は、このうち4つめのパターンは非常に多いという。戦国時代も江戸時代でも、銀行に預けておくということはできなかったから、持ち金を地中に穴を掘って甕に入れて保管するのは、当時は結構当たり前のことだったからである。つまり、埋蔵金というのは単なる夢物語ではなく、昔の時代背景を考えると、それなりに十分あり得るものなのだ。
ただし、日本は法律がトレジャーハンターに不利にできているので、ちょっとした発見であれば見つかった小判は届け出されずにそのまま古銭商に流れているケースもあるらしい。そういうものも入れたら、埋蔵金というのはけして特殊なものではないようだ。
ただし、本書の埋蔵金探しのメインになっているのは、スケールの大きなものが中心だ。宝庫多田銀山の秀吉の埋蔵金四億五千万両、結城晴信の埋宝、そしてかつてTVでも特別番組が組まれた赤城の徳川埋蔵金三百六十万両である(最近また始まる)。
特に、徳川埋蔵金については手厚く書かれている。非常に細かく、生々しく、自らの取材に基づいて記載されており、埋蔵金探しに賭けた人々のドラマもふくめ、かなりひきつけられる。
ただし、たとえそれが数十億や数百億の宝であったにしても、一か所に集中させれば、せいぜい一坪か二坪程度の広さがあれば収まってしまう。だから、単に粗い見当で山を掘れば出てくるという甘いものではない、と著者は忠告している。したがって、埋蔵金探しには「土を掘るより資料を掘れ」ということが原則であるという。
実際に、本書で語られているような巨額の埋蔵金が存在するかどうかはわからない。赤城の埋蔵金は、官軍の進行によって、元々予定されていた場所ではないところに急きょ埋められたという可能性もあるようだ。いずれにせよ、ここに綴られている記録自体が、埋蔵金文化史とも呼ぶべき輝きを放っている。すでに絶版になっている本なので中古本を探して読む必要があるが、大変面白く読めた。
文庫、472ページ、中央公論社、1995/09