密林の図書室

人生は短く、経験からのみ得られることは限られます。読書から多くのことを学び、アウトプット化も本との対話の一部として大切なものだと考えてきたので、このブログを立ち上げて日々読んできた本の備忘録として活用しています。

「間違いだらけのクルマ選び」で有名になった徳大寺有恒が、自伝を兼ねて最晩年に書いた本。『駆け抜けてきた: 我が人生と14台のクルマたち』

著:徳大寺 有恒

 

「いま、あらためて振り返ってみれば、人生というものは、過ぎ去った一つひとつの事柄を否定することなどできないと、つくづく思う。私はレーシングドライバーになって首になり、その後商売をはじめて膨大な借金をつくった。挙げ句、体を壊して入院し、原稿を書くに至った。そしてその原稿こそが、のちの私の人生を決定づけた礎となった。どのひとつが欠けても、私の人生はまったく異なる展開になったはずだ」。

 
 2014年11月7日に永眠した自動車評論家徳大寺有恒氏が、自らの人生を、所有した車のうちの一部とともに語った本。

 2013年8月に出版された本だが、実は2011年にも心肺停止の状態となって奥様が運転する車でかかりつけの病院にすべりこんで一命をとりとめたりしていたそうで、もしかしたらもうそんなに長くはないかもしれないという著者の予感のようなものを読みながらかすかに感じる。

 乗ったメーカーの試乗車は4000もしくは5000台以上。自身で所有した車の数も正確には覚えていないながらも100台前後になる筈だという。

 自動車への出費も一般人の想像を遥かに超えている。購入費もすごいが、維持費がこれまたハンパではない。DB6の維持費は7年間の合計で750万円で「それだけみるとたいしたものではない」そうだが、そのときは同時にジャグアー240サルーン、ベントリー・コーニッシュ・コンヴァーティブル、マセラーティ・ミストラル、ディムラー・ダブルシックス、アルファロメロSZ、VWゴルフ、なども所有しており、ベントリーの修理に1000万円、マセラーティに350万円といった具合で維持費が出ていて、「金はいくらあっても足りなかった」と述べている。

 子供の頃からクルマが大好き。戦禍になって東京から水戸に引っ越した父親の仕事はタクシー業。

 大学選びも自動車が基準であり、のちに奥様になった美人をさっそくドライブに誘ったはいいが車が途中で故障し、地下鉄で行くと言われて去られてしまったシーンも登場する。

 カーレーサーを経験し、立ち上げた自動車用品の商売は成功して一時はかなり羽振りがよかった時代もあったようだ。一方で、会社の倒産で莫大な借金を抱えるつらい経験もしている。

 徳大寺有恒という名前は、舌鋒鋭い日本車批判を展開した「間違いだらけの自動車選び」を初めて出版するときに、各メーカーからの反発を想定して出版社の編集者が著者名を覆面にした方がよいと考えて生まれたそうだ。

 14台のクルマたちとあるが、最後のクラウンは初代からの系列で書かれており、日本の自動車産業の発展とトヨタの独自路線による高級自動車作りの挑戦への歩みを象徴した内容となっている。

 歯に衣を着せぬ批評によって物議をかもし出したこともある著者だが、それが読者や自動車ファンの幅広い支持を集め、社会や自動車会社にも受け入れられてきた背景には、クルマへの熱い愛情があったとともに、それを支える文化や哲学への洞察力、さらには批判の裏に込められた日本の自動車会社へのエールにあったのだな、と思った。

 ページをめくりながら、「一緒に駆け抜けてきた。私にとって自動車とは、ともに泣き、ともに笑ってきた人生のパートナー以上の存在なのだ」という大徳寺氏の想いがリアルに迫ってくる。これら個性的なクルマたちと共に、誰も走ったことのない、時に曲がりくねった道を駆け抜けた人生だったと言えるのではないだろうか。

 

単行本、257ページ、東京書籍、2013/8/31

 

駆け抜けてきた: 我が人生と14台のクルマたち

駆け抜けてきた: 我が人生と14台のクルマたち

  • 作者: 徳大寺有恒
  • 出版社/メーカー: 東京書籍
  • 発売日: 2013/08/31
  • メディア: 単行本