密林の図書室

人生は短く、経験からのみ得られることは限られます。読書から多くのことを学び、アウトプット化も本との対話の一部として大切なものだと考えてきたので、このブログを立ち上げて日々読んできた本の備忘録として活用しています。

日本アニメの大きな飛躍となった制作現場。高橋茂人、森やすじ、中島順三、佐藤昭司、高畑勲、小田部羊一、宮崎駿、渡辺岳夫、富野喜幸。「ハイジが生まれた日――テレビアニメの金字塔を築いた人々」

著:ちば かおり

「日本が誇るアニメーションは、一朝一夕に作り出されたものではない。一部の人が波を起こし、携わる人々に影響を与え、それが相乗効果となって作品の水準を向上させ、その映像に触発された人々がさらなる次の高みを目指した結果だ。その連鎖の源流に『ハイジ』がある」。


 1974年1月6日、『アルプスの少女ハイジ』の第一話がTVで放映された。それまでも日本では多くのアニメ番組が作られてきたが、このアニメはいくつかの点でエポックとなった。

 地味でも、リアリティのある日常のドラマをアニメで描くこと。ヒーローのような非日常的な動きであれば絵にするのはたやすいが、たとえばコップを持って口に運ぶというような本来実写向きでありそれだけでは派手な感動を与えることがないシーンを、アニメーション表現の中でコツコツ作り上げて演出し緻密に構成することで共感と感動を生み出す物語につなげること。

 また、この作品は、最初から海外への輸出を意識して作られていた。ハリウッド映画には日本と中国がミックスしたような奇妙なシーンが時々みられるが、そのようなものは絶対に作りたくない。スタッフたちはスイスでのロケーション・ハンティング(ロケハン)を行い、実際に現地で取材したことを作品に生かしてゆく。だから、後にヨーロッパで放映されて子供たちの心をとらえて旋風を巻き起こしたとき、これが遠い日本で作られた作品だと気づいた人はいなかった。主題歌の中のヨーデルも、現地に飛んで本場の声とアルペンホルンとともに録音された。各1話で使用されるセルの枚数も通常の枚数を大きく超える。

 このような多くのこだわりを詰め込んだ製作現場は多忙を極めたが、同時にそれらを実現するための情熱にも支えられる。締め切りになんとか合わせながら、お世辞にも良いとは言えない環境の中で、集結したスタッフたちは次々高い質で仕事をこなしてゆく。彼らは、本物を作りたかったのだ。

 名作『アルプスの少女ハイジ』が誕生するまでを、コマーシャル制作の現場からアニメに携わるようになり、この作品の企画と製作を手がけた「ズイヨー映像」の社長の高橋茂人の歩みを中心に書かれた本である。

 亡くなる直前の高橋茂人本人への合計25時間の取材の成果も盛り込まれている。高橋がこの作品の構想をテレビ局に提出したとき、日本は高度経済成長が曲がり角を迎え、公害と環境破壊が社会問題となっていて時代の空気が変わりつつあった。テレビ局側は当初反対したが、高橋がコマーシャル制作を行っていた頃にスポンサーのカルピスと良好な関係だったことも幸いして、GOサインが出る。

 高橋は、「大自然と健康で温かい心をテーマにしたこの作品は必ず受けいれられる」という確信があったという。当時の「ズイヨー映像」には、東映動画からきた森やすじ、編集の中島順三、アニメ制作のベテランの佐藤昭司ら実力のあるスタッフらがそろっていて、良いものをつくろうという熱気と興奮があった。

 

 そうして決まったこの作品の制作にあたっては、品質確保のために『山ねずみロッキーチャック』で実現したメインスタッフが持ち場の全責任を負う体制が採用された。そこに、高畑勲、小田部羊一、宮崎駿が加わる。

 音楽を担当した渡辺岳夫は、ロケハンで訪れたマイエンフェルトで、草の上に寝転んでゆっくり流れる雲を見ながら涙を流し、「ハイジのそばにずっと寄り添う音楽を作ろう」と決意する。演奏には本物のオーケストラが使われた。

 高畑は日常の芝居の可能性に賭け、地味な生活の描写を積み重ねることで視聴者がアニメーションという枠を超えてハイジと共感できる世界を目指す。宮崎の細部を大切にする構図とレイアウトは、ハイジの世界を見事にビジュアル化してゆく。

 激務で失明寸前になっていたという森は、『山ねずみロッキーチャック』の担当をしながら、『ハイジ』のパイロットフィルムやキャラクター原案にかかわる。小田部は高熱のときでも毛布で汗を出して熱を下げながら作画のために机に向かう。

 宮崎は、「ヨレヨレでも私たちは幸せだった」と、当時を振り返っている。寝る間を削って真剣に取り組む中心となるスタッフたちの姿勢は、単なるテレビ漫画と思って参加した周囲の人々を感化し、チームとしての力を大きなものにする。

 『ハイジ』は日本のアニメのその後の成長においても大きな起点となった。宮崎・高畑の2人は、のちに「スタジオジブリ」を設立し、日本のアニメの名声を世界で確固たるものにする。絵コンテを担当した富野喜幸(現:富野由悠季)は『機動戦士ガンダム』で一世を風靡する。小田部は任天堂に移り、『ポケットモンスター』『スーパーマリオブラザース』などの監修を担当する。宮崎の仕事に学んだ庵野秀明は『新世紀エヴァンゲリオン』で少年たちの内面を深く描く。そして、市井の人々の日常や心情を丁寧に描写する手法は日本アニメのお家芸となり、細田守、新海誠、片淵須直といった次の世代へも受け継がれてゆく。

 ちなみに、『ハイジ』の裏番組には途中から『宇宙戦艦ヤマト』が登場したが、そのプロデューサーを務めた西崎義展は同じく高橋の下で作られた『山ねずみロッキーチャック』の制作部長だった。『ハイジ』に挑むことになった『ヤマト』は視聴率で惨敗したものの、再放送枠で人気をとり、その後の空前のアニメブームの火をつけた。

 

「子どもの頃に『ハイジ』を観て受けた衝撃は何だったのか。今ならそれが説明できる。私はゾクゾクするほど『ハイジ』の背後に大人たちの本気を感じていたのだ。当時制作に携わった人々から聞いた話は、かつて感じた思いを裏付けてくれた。『たかが子どもの』アニメに本気になってくれた大人たち。彼らの思いが結実し『ハイジ』は生まれた。そのメッセージはシンプルだが力強い。人生は生きるに値する。ものづくりは素晴らしい」。

 
 新聞の連載を一冊の本にまとめたもの。昔の貴重な写真も各所に掲載されている。元々三つ編みで想定されていたハイジの髪型が変わった理由とか、原作の宗教的な色を制作の際にどのようにしていったかといった、いろいろなエピソードも収められている。

 

単行本、176ページ、岩波書店、2017/1/27

ハイジが生まれた日――テレビアニメの金字塔を築いた人々

ハイジが生まれた日――テレビアニメの金字塔を築いた人々

  • 作者: ちばかおり
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/01/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)