密林の図書室

人生は短く、経験からのみ得られることは限られます。読書から多くのことを学び、アウトプット化も本との対話の一部として大切なものだと考えてきたので、このブログを立ち上げて日々読んできた本の備忘録として活用しています。

シベリア出兵 - 近代日本の忘れられた七年戦争

著:麻田 雅文

 

「もともとシベリア出兵は、イギリスやフランスが第一次大戦で勝利するために思いついた、大戦下の補助的な作戦に過ぎなかった。だがその後、日本など各国を巻き込んで二転三転してゆく。結局、日本は出兵した国々でも最長の期間シベリアに居座り、最多数の兵士を送り込むことになった」。


 1918年のウラジオストクへの出兵から1925年の北サハリンからの撤退までの期間は7年に及ぶ。日清・日露の戦争や2つの世界大戦に比べると一般に教科書の扱いも比較的小さいシベリア出兵についてまとめた本。

 第一次世界大戦中のロシア革命によって、それまで東部戦線で激戦を交えていたドイツとソヴィエト政府が講和を結ぶ。これによってドイツは西部戦線に戦力を集中できるようになった。

 慌てたイギリスとフランスは、反革命勢力を支援してソヴィエト政府の打倒を画策し、同時にそれまでロシアに大量に送っていた援助物資が敵国ドイツに渡らないようにすることを計画した。まず貨物を差し押さえるために1918年3月にムルマンスクにイギリス軍が上陸。日本とアメリカにもシベリアへの出兵の依頼が舞い込む。

 ロシア革命は日本にとって対岸の火事ではなかった。大日本帝国にとって、南サハリンや朝鮮半島はロシアと陸続き。勢力圏である南満州もロシアの勢力だった北満州と隣接している。ウラジオストクなどには邦人もいる。

 しかし、当初アメリカは出兵を拒否。日本は国内の世論の賛否が割れ、参謀本部は現地工作や内戦誘発活動を行う。様々な思惑が渦巻くが、山県有朋寺内正毅などは慎重姿勢をとる。ソヴィエト政府も日本の出兵を押しとどめるためにソ連勢力圏での数々の利権の提供をちらつかせた。

 直接の引き金になったのは、ソ連国内で武装解除を要求されたチェコスロバキア軍団の救出。英仏伊の要求に、日米も動く。アメリカが重い腰を上げたことで、原敬は出兵を黙認。寺内内閣は7000人というアメリカとの合意をなし崩しにして、規模を大幅に拡大した出兵を行う。出兵地域の合意も破る。シベリア出兵に反対する言論も弾圧された。『大阪毎日』は、社長や編集局長が辞任に追い込まれ、紙面に長文のお詫びを掲載してなんとか廃刊を逃れる。

 日本軍は、長期間の総力戦を想定しながらも開戦時に一気に勝負を決める短期決戦を目標にする。そして、バイカル湖から東を2か月足らずで制圧。日本側はソ連領の朝鮮人の抗日活動を弱めることにも成功する。

 ただし、現地の兵士たちは、寒さ、食料や日用品の欠乏、パルチザンの襲撃に悩まされる。性病も蔓延する。1919年2月には、田中大隊がパルチザンに包囲されて全滅。広い地域を分散して担当する中で積極戦術をとったことが苦戦を生む。さらに、現地の村の討伐によって住民たちに反感が芽生える。また、指揮権や鉄道の運営権をめぐって日米の対立が鮮明になる。一方、日本国内では、寺内内閣が辞職し、原敬政権になる。

 1918年11月11日に第一次世界大戦終結シベリア出兵を続ける理由がぐらつきはじめる。反革命勢力のコルチャークが勢いを持ち、日米英仏伊がコルチャーク政権を支持したこともあったが、結局赤軍の反撃によって駆逐されてゆく。

 コルチャークの没落と入れ替わるように今度はデニーキン将軍がモスクワを目指し、イギリスがこれを支援したが、こちらもあえなく赤軍に敗れる。

 これをきっかけに、イギリスとフランスが撤兵を開始する。チェコ軍団も休戦協定を結んでソ連を去る。アメリカも撤兵する。そして、日本だけが残る。

 日本軍はアムール州から撤退するが、沿海州は制圧。しかし、革命軍との衝突を恐れた原内閣は、日本が支援していたセミョーノフがいるザバイカル州からも撤退する方針を打ち出す。セミョーノフ軍はその後、赤軍に敗れる。

 1920年には、日本は沿海州南部と北満州の中東鉄道沿線に兵力を集中。さらに、石油のある北サハリンと朝鮮ゲリラ拠点であった間島への派兵を行う。そこに、尼港事件が発生し、世論はいきり立つ。間島出兵は中国政府との関係を悪化させて、日華陸軍共同防敵軍事協定が廃止される。

 ヨーロッパ各国がソビエトの承認に動き始める。原首相は参謀本部が反対する中、山県有朋を動かし、撤兵の方針を決める。さらに、諸外国の日本への批判は高まり、ロシアの反革命勢力は敗北し、国内でも野党や世論が撤兵を求める。原敬暗殺後、加藤有三郎首相兼海相は撤兵を決断。撤兵と大日本帝国臣民の脱出が始まる。ソ連は、日本との緩衝材であった極東共和国を清算。北サハリンからも石油利権交渉とともに撤退し、日ソは国交を樹立する。

 シベリア出兵とひとことでいっても、実際は7年間の間に様々な動きや環境の変化があったことがわかる。きっちりまとめて書かれてある。今まで、新書でシベリア出兵を扱った本はなかったそうで、その点でも貴重な本である。

 

新書、266ページ、中央公論新社、2016/9/16