密林の図書室

人生は短く、経験からのみ得られることは限られます。読書から多くのことを学び、アウトプット化も本との対話の一部として大切なものだと考えてきたので、このブログを立ち上げて日々読んできた本の備忘録として活用しています。

よみがえる古代の港: 古地形を復元する (歴史文化ライブラリー)

著:石村 智

 

 自動車も鉄道も高速道路も無い時代において、海路は今では想像できないくらい重要な役割を果たした。また、昔の日本の地形は埋め立てが進んだ現代とは大きく異なる。

 本書は、地名やGPS衛星から撮影された画像などを手掛かりに古代の日本各地の港の痕跡をたどり、論じたものである。たとえば、津、浦、泊、湊という字がつく地名は、今では陸地でも過去には海に近かったり湿地や砂州であったりと古代に港であった可能性があるという。

 

 天橋立てやサロマ湖のようなラグーンとも呼ばれる内海を形成する潟湖地形(かたこちけい)が縄文時代をはじめとして古い時代には港として活用されていた。

 丹後半島の網野銚子山古墳と五色塚古墳は海岸部に築かれ、海上からランドマークとしてわかるようになっていた。瀬戸内海は穏やかな海ではあるが潮の流れが頻繁に変わるためエンジンのない時代には航海が大変難しく、潮待ちのための港がいくつもあった。日本では古墳時代までは小型で喫水の浅い船が中心だったので、水深の浅い港が利用されてきた。ところが、飛鳥時代奈良時代以降は喫水の深い構造船が登場して水深の深い港も併存するようになった。

 遣隋使に用いられたような箱型の船は大型ではあったが箱型であったために嵐に弱く、日本では準構造船から和船へと発達した。カヌーと同じタイプの船に対して、「枯野」と呼んでいた記録もある。

 

 平安京への遷都の理由にはいろいろな説があるが、「続日本紀」の藤原種継桓武天皇のやりとりには「遷都の第一条件は物資の運搬に便利な大きな川がある場所」という記述があるという。著者は近年支持する人が多い難波宮難波京を副都とみる立場をとり、さらに仮説にとどまっているという断りを入れながらも平安京を中心として大宰府多賀城を加えた3都制の拠点だったとしている。

 

 伊豆諸島の神津島で産出される黒曜石は旧石器時代から縄文時代にかけて日本列島で広く流通していることから、速い海流を越えて航海をした人々がいたのは確実。続縄文文化から擦文文化が生まれ、オホーツク文化が取り込まれてトビニタイ文化になって擦文文化に融合してアイヌ文化になったと考えられる北海道では、丸木舟や準構造船が使われていたと推測される。西表島サンゴ礁に適応した港の跡。

 

 学術的な立場から真面目に書かれた本である。自然の地形をうまく利用して港とし、船を活用した昔の人々への空想を掻き立てられた。

 

目次

1.古代の港を復元する―プロローグ
2.丹後再訪―丹後半島および若狭周辺における古代の港をさぐる
3.「浅い港」と「深い港」―御津室津
4.古代の海上ルートを探る
5.伊豆と海人集団
6.都城と港―平安京遷都と海上/水上ルートの変遷
7.北方と南方の古代の港
8.水辺と共にある日本の景観―エピローグ

 

単行本、247ページ、吉川弘文館、2017/10/18

 

よみがえる古代の港: 古地形を復元する (歴史文化ライブラリー)

よみがえる古代の港: 古地形を復元する (歴史文化ライブラリー)

  • 作者: 石村智
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2017/10/18
  • メディア: 単行本