著:兼高 かおる
先日、90歳で亡くなった兼高かおるさんのエッセイ。パンナムの提供で長く続いた『兼高かおる世界の旅』というテレビ番組を31年務めた人である。そう苦労することなく、あっさり読める。
おてんばだった子供のころ。アメリカへの留学。体調を崩して一時帰国したら当時留学に必要だったスポンサーのサポートが得られなくなってしまったこと。
英語力を生かしてジャーナリストに転身。早回り世界一周記録を持っていたカボリー氏のインタビューがきっかけで自身も挑戦を計画し、プロペラ機による最速の世界一周記録を作って注目されたこと。
その後、海外取材番組に抜擢され、やがて『世界の旅』を始める。当初予定は2年だったそうだが、それが31年も続いた。それが打ち切りになったときの経緯についても書かれている。
「『これしかない』わたしはこの言葉が好きではありません。断定的でいかにも強そうですが、このような発想は考えの幅が狭く、いざというときに臨機応変に対応できない上に、自分の可能性をとことん試そうとしていないのです。『世界の旅』の番組を作っていたときにも『これしかない』といった発想はわたくしにはありませんでした。あらゆる可能性を常に追求していました」。
ケネディ大統領やチャールズ皇太子との会見。北極点に立ったときの様子。当時の貴重な写真もいくつか紹介されている。また、取材をしていたときの裏側や苦労、エピソード、近況、「人生は誰しも一生に二度、大きな運がある」というような自身の考え方をいろいろ披露しているところもある。「42歳定年説」という主張はちょっとびっくりした。
自立した女性として世界に飛び出し、非常に個性的な人生を歩んだ。国際派女性の先駆けのような人だった。
文庫、217ページ、小学館、2013/3/6