著:榎本 博明
著者によると、海外の多くの国は「自己中心の文化」であるのに対し、日本はお互いに気遣いをし合う「間柄の文化」社会であるという。相手の気持ちや立場を思いやり、「イエス」でなくとも「ハイ」と返事をする。
近年、欧米流のCS(Customer Satisfaction)という考え方が導入されるようになってきたが、「間柄の文化」の日本ではそのようなものをわざわざ導入しなくても元々できている。ところが、CSやおもてなしを強調するあまり、お互いに気を遣っていたバランスが崩れ、いつの間にか客の方が過剰に従業員に要求することが許される社会になってきてしまった。過剰なお客様扱いが客の自己愛を不必要に増幅させ、働く人へのプレッシャーを強くするようになってしまった。
経営者もこれを悪用し、お客様のためということを背景に労働環境の悪化を許してきた。「総活躍社会」というキャッチフレーズも曲者で、実際は過剰な要求を突きつけられて搾取されるような労働を強いられていることが問題なのにそこには目をつぶり、それが「やりがい」だとか「自己実現」という方向に転嫁されて、あたかも自分のために働いているような錯覚を生じさせている。
一方的な奉仕を強いられる社会では、「感情労働」というストレスも大きくなる。感情労働では、その場にふさわしい表向きの演技を要求される「表層演技」もしくは、その場にふさわしい感情が生じるようにもしくはふさわしくない感情が生じないように努力する「深層演技」が要求される。
表層演技は表向きの取り繕いであり、深層演技は自分の感じ方そのものを役割にふさわしいものにすることである。われわれは職務にふさわしい「感情規制」に従って自分の感情をコントロールすることになるが、実際の「感じること」と「感じるべきこと」にズレがあって感情を抑制しながら働くとプレッシャーを感じる。深層演技の場合であっても、元々無理をして努力してそのようになった場合は消耗感から免れない。
お互い様のバランスが崩れ、過剰な要求がまかり通るようになった職場は接客業に限らない。学校、病院、介護の職場、保育の現場など、様々な分野において過剰な要求やクレームがまかり通るようになっている。上司と部下の間でも神経的に非常に気を遣う関係が生じている。
電話だけで応答するコールセンターは、目に見えない客からいきなり怒鳴られることさえあって離職率が高い。現代では、ネットで悪口を拡散させられたりすることも恐れなければならない。
過剰・感情社会においての対処方法についてもいくらか書かれている。事実は変えられなくとも見る枠組みを変えてみる「リフレーミング」。一人で抱え込まないで仲間に話し共感を得ること、もしくは自己開示できる場を持つことも重要だ。適切な相手がいない場合はノートに書いてみるだけでも効果が得られる場合がある。「レジリエンス」という心の復元力を高めることもポイントで、そのためには肯定的な意味づけの力を高めるといったことが紹介されている。仕事の裁量権を与えたりすることも有効だ。
また、社会全体の試みとして、お客満足だけでなく従業員満足も大事にするビジネスモデルをもっと奨励する必要性も説かれている。
心理学的な説明と現代の社会でよく言われる問題及び実際のニュースを取り上げながら書かれており、タイトルは派手だが、内容的には日本で暮らしていれば常識的にそうだろうなと思う範囲のもので、さほど違和感はない本である。
新書、207ページ、平凡社、2017/3/15