密林の図書室

人生は短く、経験からのみ得られることは限られます。読書から多くのことを学び、アウトプット化も本との対話の一部として大切なものだと考えてきたので、このブログを立ち上げて日々読んできた本の備忘録として活用しています。

毛の人類史 なぜ人には毛が必要なのか

著:カート・ステン、訳:藤井美佐子

 

 脊椎動物の登場とともに、上皮が単層から多層に進化する。ここから、毛幹と毛包の構造が誕生する。

 毛は温血性の生命体である哺乳類にとって断熱材であり体温を一定に保つために重要なものであり、感覚器としての役目も果たす。

 

 人間の祖先が被毛を失った理由については多くの説があるが、有力なもののひとつは、熱の放射を効率よく行って温度の変化に敏感な脳を守るため、というものだ。実際、霊長類の脳が巨大化しはじめた時期と被毛を失った時期は重なっている。

 被毛を失ったことでヒトの祖先の母親は赤ん坊を被毛にしがみつかせることができなくなって行動が制限されるようになり、父親とセットで家族を形成するようになったという学説もあるようだ。

 毛の生え方にはいくつかのパターンがあり、チューリングは数学的にそれを説明しようとした。北アメリカの成人では右利きの人の90%以上がつむじが時計周りである。毛包はいったん形成されると毛管を生み出し、独特の成長周期をたどる。

 ヒトの毛の場合は、成長期→休止期→脱毛期の周期を繰り返す。動物によっては、季節によって毛が成長する時期と脱毛する時期が大きく分かれる。例えば、ビーバーの被毛は晩秋において最も衣類に適した状態になることが昔から知られていた。

 脱毛に悩む人は多くいる。ストレスが関係する場合もある。去勢された男性は禿げない。円形脱毛症は頭皮の特定の部位だけで発生するが、どうしてなのかははっきりわかっていない。

 また、多くの科学者が失われた毛の再生方法を研究してきたが確実な方法は見つかっていないようだ。ただし、栄養状態は毛の健康とも関連性が深いということはいえる。

 毛は美をアピールするものでもある。鳥類は求愛において羽を利用する。ネコは敵意を表すのに毛を逆立てる。人間の場合でも髪の毛は美をアピールするための身体的特徴のひとつとして考えられてきた。歴史上、いろいろなヘアスタイルが流行し、身分や社会的地位と髪の毛の形が関連つけられていたこともある。

 

 一方、ジャンヌ・ダルクやマリー・アントワネットといった死刑を宣告された人々は処刑の前に頭髪をそり落とされた。アフリカの奴隷商人たちも移送する前に奴隷の頭を剃った。神聖さを表現するために髪を切ることも行われてきた。

 1215年の第4回ラテラノ会議において聖職者が外科処置を行うことが禁じられたことがきっかけで、理容業が誕生した。理容業は長年外科医も兼ねていて、ギルドも作られた。理容業のサインポールは瀉血の処置を表し、徐脈と動脈と包帯の色からきている。

 一方、女性の髪については、17世紀までカトリックでは男性が女性の髪を扱うことが禁じられていた。1870年代になってマルセル・グラトーが髪をカールする手法を開発し、パリで店を開く。これが大ヒット。現在の美容院が誕生した。

 髪の毛は丈夫でありながらしなやか。毛管には血管や神経がない。ケラチンと呼ばれる糸状のたんぱく質でできている。多くの毛を圧着するとフェルトができる。科学技術の発達によって、脱色や毛染めの技術が発達してきた。髪の毛は売買の対象にもなり、かつらが作られた。

 人工的に作られた髪の毛もあるが、キューティクルをうまく再現することが難しいので、本物の毛にはかなわない。ただし、日本のアデランス社は高い技術を持っているという。

 人間は動物の毛を利用してきた。ヨーロッパではビーバー・ハットが流行し、高値で取引された。ヨーロッパでビーバーが少なくなると北米でビーバー狩りがはじまり、それが西へ西へと進んで西部開拓の先導役を果たした。

 良質な羊毛はイギリスの重要な外貨獲得手段であり、大英帝国に富をもたらし、そこから紡績産業も誕生した。羊毛は吸水性、保湿性、絶縁性、耐火性、収縮性に優れている一方で、収縮率には劣る。また、意外に環境負荷が大きく、ヒツジは牧草の消化に伴う温暖化ガスを多く排出し、羊毛自体も洗浄や染色において環境負荷が大きい。現在では羊毛の生産量は綿の30分の1以下、合成繊維の60分の1以下になっている。

 ヒトは衣料以外にもバイオリンの弓や絵画の刷毛など動物の毛を利用してきた。

 毛は犯罪捜査にも役立つ。毒殺の場合、皮膚には長く残らないものでも、髪の毛は毎日伸びる過程においてその時々の状態が刻まれるので、髪の毛を調べることによってわかることがある。髪の毛は遺伝的な情報も多く有している。

 人毛からとれるシステインは食品添加物としての利用がおこなわれているという。ロボットのヘアカットの可能性など、未来についても言及されている。

 著者は長年毛包研究に従事してきた科学者。科学的な知見を交えながら、毛とヒトの歴史的な関係を解説しており、興味深く読める本だった。

 

単行本、282ページ、太田出版、2017/1/25

毛の人類史 なぜ人には毛が必要なのか (ヒストリカル・スタディーズ18)

毛の人類史 なぜ人には毛が必要なのか (ヒストリカル・スタディーズ18)

  • 作者: カート・ステン,藤井美佐子
  • 出版社/メーカー: 太田出版
  • 発売日: 2017/01/25
  • メディア: 単行本