著:清水 敏男
独特の乳白色の作品などで絵画の歴史に名を遺した藤田嗣治(1886-1968)の作品をその生涯とともに紹介した画集。
東京美術学校を卒業し、1913年にパリへ渡る。1921年にサロン・ドートンヌで発表した「裸婦」「自画像」「私の部屋」の3作が高い評価を得る。そして、1922年のサロン・ドートンヌの大作「裸婦」で人気作家の道を開いた。独特の細い線と平面性を持った裸婦像は時代の支持を得た。
1931年に南米からメキシコに至る旅行を経験し、1933年に日本へ帰国。ダイナミックな動きを駆使した作品を発表。やがて、陸海軍の要請を受けて「アッツ島玉砕」などの戦争画を手掛ける。このため、終戦後は戦犯とはならなかったものの孤独を深めることとなる。1949年にGフランク・シャーマンの支援でニューヨークへ立ち、1950年にパリに戻る。子供とキリストをよく描き、1959年にカトリック教徒となる。1966年にランスに「平和の聖母礼拝堂」を竣工させる。1968年に亡くなったときには、この礼拝堂に埋葬されている。
藤田の足跡をたどりながら、多くの作品が紹介されている。オールカラーで印刷も良い。藤田の作品をひと通り理解するには適した内容である。
ただ、著者の解説や解釈については、どこまで適切なエビデンスに基づくのか理解しにくいものが少なくなく、人を選ぶかもしれない。例えば、日本絵画の現代にいたる道は藤田や具体美術だけの業績ではなく日本画の画家たちの業績なども大きいにも関わらず、「カワイイ文化を生む素地となったのではないだろうか」などと、まるで藤田の流れのみの業績のように書く解説は、控え目に見てもかなり疑問である。奈良美智の子供の絵の作風は藤田に似ているところはあるがそれだけではないし、アニメ好きでアニメータを志していたこともある村上隆を藤田に連なるとするのもかなり一面的な評価である。戦争当時に「アッツ島玉砕」の絵の前で手を合わせた人についての感情も、時代背景を考えると、果たして著者が決めつけているようなものだったのだろうか。「~かもしれない」という解説というより感想のような文章も散見される。
大型本、191ページ、東京美術、2018/8/2
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