密林の図書室

人生は短く、経験からのみ得られることは限られます。読書から多くのことを学び、アウトプット化も本との対話の一部として大切なものだと考えてきたので、このブログを立ち上げて日々読んできた本の備忘録として活用しています。

非常識の中から見えてくる、本当に大切にすべき常識。『安売り王一代 私の「ドン・キホーテ」人生 』

著:安田 隆夫

 

「私の半生やドンキ起業のいきさつについては、できれば公開したくなかった。ハチャメチャなことが多すぎて、人様に誇れるようなものは何一つないからだ。今回、私が自分の人生をさらけ出す決意を固めたのは、かつての私のように社会のそこかしこで苦悶している人々に、勇気と情熱を分かちたかったからである」。

 
 知識ゼロ、経験ゼロ、人脈ゼロ。ノウハウも無ければ、倉庫も無い。あちこちからワケアリ商品を安く買い集め、保管場所が無いから店の中にギユウギュウに詰め込む。通路を歩くことすらやっとやっとの状態。それに加えて、夜中まで営業する。これらは全て当時の流通業界の「非常識」であり、「やってはいけない経営」の見本のようなものだったと述べている。

 今や年商7000億円の規模になった驚安の殿堂「ドンキホーテ」の創業者が、自らの人生とドンキホーテ成功にいたるまでの歩みを振り返った本。

 原点は「嫉妬」と「羨み」だという。父親に反発する孤独なガキ大将。東京に行きたくて猛勉強して慶応大学へ行ったが、田舎のイモ兄ちゃん丸出しの貧乏学生は、周囲の華やかな慶応ボーイたちとまるで違う。劣等感と嫉妬の中で、「こいつらの下で働く人間だけには、絶対になりたくない」という情念が、起業を目指す信念へと変わる。

 ドヤ街での肉体労働。就職した小さな会社は10ヶ月で倒産。糊口をしのいだ麻雀。これなら自分にも出来そうだと始めた「泥棒市場」という名の小さなディスカウント商店。常にがけっぷちの資金繰りの中で、徹底してお客様のニーズをつかみ、「スポット商品仕入れ」「圧縮陳列」「POP洪水」といった手法をあみだしてゆく。「当時は、値付けもイイカゲンだったので、実際に掘り出し物は多くあった」という。

 「もしかしたら書けないかもしれないボールペン一本十円!」などというPOPを面白がる夜に来店するお客様たちから見出した、新たなビジネスの可能性。卸売り専業での成功。

 興味深いのは、著者の逆転の発想の多くが、いわば「苦肉の策」から生まれていることである。卸売り会社では、怪しげな小さな会社ゆえに真面目な従業員がなかなか集まらないので、外出を口実にサボったりしにくいように、外回りではなく電話営業で済む体制を作り、営業・物流・集金の3つを分権化して、これがうまく機能する。

 開店した「ドンキホーテ」では、いくら自分のやり方を部下に教えてもうまくいかないので、思い切って全部を任せるようにし、従業員各自に自分の預金通帳を持たせて個人商店主になるくらいまで徹底的に「権限委譲」したら、仕事が「労働」ではなく「ゲーム」になり、みんな一生懸命になる。人材も集まりだす。

 


 単にイケイケどんどんだけではなかったことも印象に残る。「守り」はベーシックに行い、拡大路線に進む前にPOSやEOSなどに投資して内部基盤をきちんと整備する。バブルの熱狂は様子見を決め込む。小売業にとって極めて大切な出店の際の立地選定には徹底的にこだわる。基本に沿った守りをきちんとやれるからこそ、他人がやらないユニークでアグレッシブな攻めの経営ができる。

 「ドンキホーテ」に何度も訪れた危機についても、時に感慨を交えて語っている。深夜営業に対する住民たちの反対運動。医薬品販売に対する厚生労働省の圧力。痛ましい犠牲者を出した連続放火事件。マスコミはここぞとばかりに成り上がりもののドンキを叩く。理不尽なバッシングに対して経営者として反論したいのは当然だろうが、それだけではなく落ち度があった点や配慮が足りなかった部分についてはきちんと是正する機会にしているところは注目すべきだろう。ちなみに、このような事件があっても、客足は落ちなかったという。

 「ビジョナリーカンパニー」から学んだこと。育てるより、まずは人を信じて頼むこと。敗者復活の文化。「長崎屋」買収の思惑。海外展開。逆張り発想法。

 運のいい人とは運を使いきれる人のこと。幸運の最大化によって不幸を最小化する。負けが多くてもいが、大負けはしないようにする。距離感の達人になる。権力と権威は似て非なるもの。

 とにかく、面白い。理屈抜きに読ませる。しかし同時に、この本には著者が意図したこと、もしかしたらそうではないことも含め、多くの教訓が盛り込まれているように思える。

 例えば著者は、ところどころ「非常識」を強調しているが、むしろ、本当に「核」になっている部分は極めて常識的であるように思える。例えば、失敗しても再挑戦可能なレベルの損失にとどめるようにするとか、守りは基本に忠実に行うというような点は、まさにそれこそ常識である。

 終盤で説かれている権力と権威の違いについても、資本主義社会における資本家の役割や立場という視点で考えればおかしなものではない。一見非常識に見える商売のやり方についても、「小売業にとって最良の教師はお客様」という、一番大切にしなければならない常識について徹底的にこだわって観察して考え抜いたからこそ見えてきた道である。

 世の中には常識と呼ばれるものはたくさんあるが、その中には、今の時代には満たすことが難しい条件がクリアされてはじめて常識として成立するものや、実際は特殊な事例にすぎないものが一人歩きして常識とされてしまったものがある。単なる慣習にもとづくものや、個人的なこだわりや「オレ様ルール」に過ぎないものを「常識」と呼ぶ人もいる。つまり、この本の汎用的な教訓のひとつは、常識の壁を打ち破るためのヒントは、「本当に中核とすべき常識」に徹底的にこだわって苦しみ考え抜くことでそれ以外の常識とされることやそう思われてきたことを次々打破して見えてくるものだということがいえそうな気がする。いずれにせよ、おススメである。

 

単行本、239ページ、文藝春秋、2015/11/20

安売り王一代 私の「ドン・キホーテ」人生 (文春新書)

安売り王一代 私の「ドン・キホーテ」人生 (文春新書)

  • 作者: 安田隆夫
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2015/11/20
  • メディア: 単行本