密林の図書室

人生は短く、経験からのみ得られることは限られます。読書から多くのことを学び、アウトプット化も本との対話の一部として大切なものだと考えてきたので、このブログを立ち上げて日々読んできた本の備忘録として活用しています。

東芝メモリは事実上韓国のSKへ売却されている。それにしても、あの名門企業がどうしてこんな風になってしまったのか。「東芝の悲劇 (幻冬舎文庫) 」

著:大鹿 靖明

 

「東芝は、経済環境の激変や技術革新の進化の速度に対応できず、競争から落後したわけではなかった。突如、強大なライバルが出現し、市場から駆逐されたわけでもなかった。その凋落と崩壊は、ただただ、歴代トップに人材を得なかったためであった」。

 

 日本を代表する名門総合電機企業だった東芝の数々の不祥事と没落について取材した迫真のドキュメンタリー。それぞれのトップの経歴や人となりなどコツコツと緻密に調べて書かれており、そのため分量はあるが、引き込まれる。

 元は2017年に発売されたが、このレビューは2018年8月に発売された文庫版のものである。「文庫版のためのあとがき」が追加され、その後の東芝をめぐる動きが書かれている。特に、東芝メモリ売却先に関する「SK隠し」の指摘は見過ごせない。

 

 東芝の業績が伸び悩む中で、1996年に海外営業畑の西室泰三が社長に抜擢された。2000年に岡村正、2005年には西田厚聰、2009年に佐々木則夫、2013年に田中久雄、2016年に室町正志、2016年に綱川智。この間、評価価格をはるかに上回るWHの高値づかみ、巨額のれん代計上、パソコンのバイセル取引を悪用した粉飾会計、キャリーオーバーを利用した映像部門の粉飾、しぶしぶ認めたWHの現損処理、発電部門の工事進捗基準を利用した不正会計、S&W社の買収と巨額損失と、東芝は不正と失敗のオンパレードを続ける。特に、原発関連事業に関する経営判断は、その損害額からいって致命的であったといえる。

 

 莫大な損失を出し続け、東芝はリストラと事業の切り売りに走る。堅調なメディカル・ヘルスケア事業の売却。白物家電の中国企業への売却。虎の子のフラッシュメモリー事業売却の迷走。トップの人選を誤り続けると、取り返しのつかないほどの打撃をその企業に与えることになる、と著者は一連の東芝の取材を通じて、述べている。

 

 本書は同時に、不正会計を見逃してきた監査法人、弁護士、監督官庁として介入する官僚たちの偽善性や迷走ぶりも指摘している。原発のWH買収は経産省も積極的に後押ししたことである。フラッシュメモリー事業の売却にいたっては、中国への技術流出を恐れる一方で、巧妙な仕組みによって国民にわかりにくくしているが、事業としてみた場合、実質は韓国のSKが買収したような枠組みになっている。

 

 

 しかしそれにしてもまあ、よくぞこんな経営を続けてきたものである。あえて東芝側に立った見方をすれば、ノートPCのフロッピー装置に関する巨額賠償はアメリカの訴訟社会にしてやられた面はあるし、WH買収の失敗はその後の東日本大震災による事業環境の悪化もあろうし、バイセル取引は結局は計上時期をずらすことしかできない小手先のものである。工事進捗を利用した操作のようなものであれば、コンプライアンスが厳しくなる前は、おそらく少なくない企業で行われていただろう。

 産業による浮き沈みはあるし、MicrosoftやGoogleのような企業でも失敗した事業はたくさんある。ただ、東芝の場合、やはり原発事業の失敗が大きすぎた。WHだけでなく、資源供給側さらには、S&Wのような評判の悪い工事会社まで買って莫大な損失を積み上げ続けてきたのは、やはり問題だろう。パソコン事業の会計操作の温床になったというゴールを高く設定するというのも、それ自体は海外の企業ではよくあることだが、問題はそれが市場分析やマーケット動向に基づいたストレッチ目標であるかである。事業環境が悪化していることを無視して、トップが単にストレッチだけを強いるようなやり方は、担当部門を手段を選ばない方法に追い込んでいるようなものだ。

 また、トップの責任はもちろん大きいが、いろいろな不正を見る限り、そもそも企業風土にもこのような結果を生み出す何かがあったのではないかという気がする。

 いずれにせよ、多くの日本企業において、学ぶべき教訓はたくさんあるように思う。大変読みごたえがあり、同時に、いろいろなことを考えさせられた。

 

文庫、413ページ、幻冬舎、2018/8/3

東芝の悲劇 (幻冬舎文庫)

東芝の悲劇 (幻冬舎文庫)

  • 作者: 大鹿靖明
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2018/08/03
  • メディア: 文庫