密林の図書室

人生は短く、経験からのみ得られることは限られます。読書から多くのことを学び、アウトプット化も本との対話の一部として大切なものだと考えてきたので、このブログを立ち上げて日々読んできた本の備忘録として活用しています。

ただただ不毛で不条理。「応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 」

著:呉座 勇一

 

「これだけ大規模で長期にわたる戦乱なのに、大名たちが何のために戦ったのか見えてこないというのは不思議である。劇的で華々しいところがまるでなく、ただただ不毛で不条理。これが応仁の乱の難解さ、ひいては不人気につながっているのだろう」。


 この手の新書としては異例の20万部以上のヒットになっているということなので、読んでみた。奈良の興福寺の2人の僧である経覚と尋尊にスポットを当て、それぞれが残した日記である『経覚私要鈔』と『大乗院寺社雑事記』の記述を重視しながら書かれている。また、応仁の乱の期間だけでなく、その前後の事柄にかなりページを割いており、その結果として、時代の大きな流れの中で応仁の乱とはなんだったのかということを切れ目なく位置付けて理解できるようになっている。

 ただ、経覚と尋尊および興福寺という軸が据えてあるとはいえ、とにかく、複雑である。それは、著者の書き方の問題ではなく、事実として、応仁の乱がとにかく込み入ったものだからだ。二転三転、めまぐるしく交錯する思惑と利害、昨日の敵は今日の友、入り組んだ人間関係、膨大な数の登場人物、なのに一大決戦と呼べるものはなく、ヒーローも不在で、イデオロギー的な大義名分にも乏しい。たとえば、三国志や源平合戦や戦国時代の天下統一までの流れや明治維新と比べると、まったくつかみどころがない。「ただただ不毛で不条理」というのはその通りであると、読みながら実感した。

 将軍の権威失墜とか戦国時代につながったとか、いやむしろ明応2年(1493年)の明応の政変の方がその後の時代の方向性を変えたという点ではエポックだったとか、いろんな解釈は確かになり立つだろうし、足利義政の優柔不断さに大きな原因を求めるのも正しいだろう。結果として京都から避難した人々によって地方に文化か拡散したという面も、確かに副次的な効果としてはあるのだろう。その一方で、これだけ込み入っていて多層的で流動的だと、あえて早急にわかりやすく単純なひとつの解釈に収れんさせようとするのは、それはそれで違うような気がしてきた。それが史実である以上、安易にわかりやすさに逃げないで、まずはきちんと複雑なものは複雑なまま理解しようと努めること、そんな姿勢も大切だな、と思った。なにごともわかりやすさを求め重視する時代にこんなわかりにくい本が異例のベストセラーになる背景には、なんでもわかりやすさに丸めようとする今の世の中の風潮のある種の行き過ぎた部分に対して、一部でそういう気づきがあるからなのかもしれないと思った。

 

 しかし、それにしても、こんなわけのわからない戦乱になすすべがないダメダメの室町幕府が滅亡して数十年後に、あれだけがっちりした江戸幕府の体制が作られてゆくのだから、徳川家康とその家臣たちはなんだかんだと優秀だったと思う。

 

新書、302ページ、中央公論新社、2016/10/19

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

  • 作者: 呉座勇一
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2016/10/19
  • メディア: 新書