密林の図書室

人生は短く、経験からのみ得られることは限られます。読書から多くのことを学び、アウトプット化も本との対話の一部として大切なものだと考えてきたので、このブログを立ち上げて日々読んできた本の備忘録として活用しています。

この本の主役は日本といえるかも。「海藻の歴史 」(「食」の図書館)

著:カオリ オコナー、訳:龍 和子

 

  「食の図書館」シリーズの一冊。このシリーズは欧米で執筆されているものの翻訳版なので、内容も欧米中心に書かれているものがほとんどだ。しかし、この「海藻の歴史」に限っては違う。もっとも大きく取り上げられているのは、ノリ・昆布・ワカメ・ひじきといった海藻類との付き合いが長い日本である。

 

  海藻は海に生息する藻類である。植物でも動物でもない。海藻抽出エキスのフィココロイドというゲル化剤は、欧米においても、加工食品になくてはならないものである。海藻にはビタミンやミネラルが豊富で、たんぱく質が多く含まれているため、ダイエット食品に利用されている。ただ、ギリシャ・ローマの時代から海藻を食べる習慣がなかったため、欧米人は海藻を食べ物としてみなすことは無い。この常識感から、考古学者たちも、太古の人々が大陸を移動するときに沿岸をつたい、海藻も食用にしていたということに気づくようになったのは最近のことで、人類の移動は内陸移動説が長く当たり前のように受け入れられてきた。アラブでは医療用に海藻が研究されてきたが、やはり食用ではなかった。

 

  しかし、日本は違う。たくさんの島で構成される日本は、農地や牧草地に適した土地は少ないが、陸上資源の少なさを豊かな海が補ってきた。日本の周囲には2000種類の海藻が生育している。縄文人は紀元前1万3000年前から狩猟採取文化を営んでいた。縄文人はメソポタミアで土器が作られた6000年前よりもずっと早い1万2700年前から独自の土器で煮炊きをしていた。その土器の残留物には海藻物も含まれている。

 このように、日本では昔から海藻を食べてきた。コンブ、ノリ、ワカメはその代表である。コンブの味は和食には欠かせないものである。ノリは、江戸時代に和紙の技術を使って、四角い紙のような形に加工されるようになった。そして、寿司文化と融合し、巻寿司に欠かせない具材になった。ワカメは味噌汁の具として欠かせない。

 中国では昔から海藻を利用してきたが、食用の海藻には適しない温暖な海岸線が多いこともあって食用として大きな存在であったかというとそうではなく、薬の材料として注目を浴び続けてきた。ただ、現在では世界最大の食用海藻の生産国になっている。

 朝鮮半島で「キム」と呼ばれるノリは天然物の採取が伝統だったが、日本の植民地時代に養殖技法が導入された。韓国人は自国の食べ物は中国や日本と違うという強い思いをもっており、軽く薄い板ノリを好む。「キムパブ」という韓国版の海苔巻きは、太くて具がたっぷり入っている。

 

 太平洋の島々では冷たい海域を好む海藻には向いていないが、熱帯向きの海藻が食されてきた。太平洋の北米側にはケルプが生育し、それを食用とする海洋哺乳類や魚や生物が存在してきた。太古から沿岸部に住む人々にとって、これたは貴重な海洋資源であり、ケルプ自体も乾燥させて切り刻んで長時間煮つめて食用にされてきた。食用海藻の中で好まれたのは21種類のアマノノリであり、採取区と採取量はコントロールされていたようだ。「ケルプ・ハイウェイ」は中米で一旦途切れるものの、北米から南米に伸びており、チリでも海藻を食べる習慣があったし、今でも食べる。

 

 伝統的に海藻を食べる習慣が無かった欧米において、アイルランド・ウェールズ・スコットランドは例外で、昔は海藻を食べていた。やせた土地が多かったので、肥料としても使われた。海藻は大切な食べ物で、簡単には食べられず、大切にされた。イングランドでも太古では沿岸部で食べられていたという証拠はあるようだ。スカンジナヴィア半島のバイキングたちにとっても、海藻は北大西洋のケルプの森がもたらす豊かな海洋資源とともに、大切な食糧だった。

 

 現代では、産業界や医薬業界が海藻に注目している。日本食ブームでカリフォルニア・ロールなどの形でノリが欧米でも寿司の具材として受け入れられている。海洋資源とその活用の研究は人類に新たな可能性をもたらすことが期待されている。

 

単行本、200ページ、原書房、2018/1/22

 

海藻の歴史 (「食」の図書館)

海藻の歴史 (「食」の図書館)

  • 作者: カオリオコナー,Kaori O’Connor,龍和子
  • 出版社/メーカー: 原書房
  • 発売日: 2018/01/22
  • メディア: 単行本