密林の図書室

人生は短く、経験からのみ得られることは限られます。読書から多くのことを学び、アウトプット化も本との対話の一部として大切なものだと考えてきたので、このブログを立ち上げて日々読んできた本の備忘録として活用しています。

問題は英国ではない、EUなのだ 21世紀の新・国家論 (文春新書)

著:エマニュエル・トッド、訳:堀 茂樹

 

「個人の自立は、何らかの社会的な、あるいは公的な援助制度なしにはあり得ません。より大きな社会構造があって初めて個人の自立は可能になります。『個人』とより大きな『社会構造』には、相互補完関係があるのです」。


 1980~2010年の間、世界は「ネオリベラリズム新自由主義)」と「グローバリゼーション」が進展した。これを主導したのが、イギリスとアメリカだった。しかし、昨今の世界ではこの潮流に変化が見えはじめている。しかも、その動きは、かつてネオリベラリズムとグローバリゼーションの先頭に立っていた2つの国で顕著に現れているとトッドは指摘している。イギリスのEU離脱や、アメリカで内向き指向の強い大統領候補が大きな支持を集めているのはその象徴だという。

 EUはグローバリゼーションの地方版であり、また移民を大量に受け入れてもきた。しかし、それに嫌気がさしたイギリスが離脱を決めたことで、EUではイギリスだけでなく、盟友のイギリスを通じて間接的に行使されていたアメリカの影響力も相対的に弱まることになるので、ますますドイツ中心の世界になる。また、今までフランスはイギリスとの結びつきが強かったが、その後ろ盾を失ったことでフランスはドイツに対して相対的に弱くなる。こうして、ヨーロッパのイニシティブはドイツが握る。

 トッドが自身の今までの思想的な歩みを簡単に振り返っている部分もある。特に印象的なのは、個人は、個人を育てたり支援する「国家」という公的な社会構造があって個人としての権利を享受できる、という説明である。われわれは、ネオリベラリズム的な発想で、ついつい「個人」と「国家」を対立するもののようにとらえてしまうが、実際はそうではない、という意見である。新自由主義の浸透によって国家を形成していた社会が壊れ、国家は弱体化し、個人や核家族として生きるハードルが上がり、これが非婚化や晩婚化や少子化の原因にもなっている。

 中東は国家が弱い地域である。アラブの内婚制共同体家族システムや部族連合や独裁政権は、西洋的な国家が育たない地域の弱さを補ってきた面を持つ。しかし、アメリカのイラク侵攻はかろうじてその地域にあった国家を消滅させて国家なき空白地域にしてしまった。次はサウジアラビアが危ないかもしれない。一方、イスラム圏でもトルコとイランはかつて大きな国家を持っていた伝統がある。シーア派イスラム世界のプロテスタントというべき進歩的な面があり、スンニ派に比べればまだ西洋世界に近い価値観がある。

 いびつな人口構成と産業構造の中国は、世界第二位の経済大国にはなったが、過大評価されている。ただ、高学歴の比率が少なく、ナショナリズムが支配する状態は、20世紀の西洋世界に似ており、危険な状態だとしている。日本については、ドイツとは対照的な例として見ている。ポストナショナリズムの国として、中国とのシンメトリックな対立は避け、ロシアとアメリカの2国と連携をとり、アメリカの軍事力の相対的な低下を補うために防衛力を強化し、人口減少を補うため移民の受け入れを行い、それらを通じて中国に対して、科学技術的、軍事的、経済的な優位性を保ち続けていかなければならないと述べている。

 すべての主張に賛成するわけではないが、鋭い見解や深い知見があちこちに見られる。考えさせられた。

 

新書、256ページ、文藝春秋、2016/9/21