密林の図書室

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広大な大日本帝国の勢力圏には、個性的で様々な鉄道網が延びていた。「大日本帝国の海外鉄道 」

著:小牟田 哲彦

 

 よくまあ、こんなに詳しく調べたものである。そして、大日本帝国というのは広かったのだな、と改めて思いながら読んだ。台湾、朝鮮半島、関東州、満州南樺太、さらに南洋諸島

 苦労の末に南北縦貫鉄道が作られた台湾。一貫して貨物収入が旅客収入を上回っており、産業鉄道としての役割が大きかった。台東線は製糖鉄道や森林鉄道として重要で、高砂族専用の無料列車があったという。あと、台車起道なるものは目を引く。簡易軌道の上を人力で車両を押すものである。駅は中国風と日本風の名前が混在し、台湾銀行券と日本銀行券の両方が使える。

 日本が京釜鉄道建設に際して主張して以来標準軌が採用された朝鮮。満州をつなぐルートとしても重要で、急行「ひかり」や急行「のぞみ」や唯一の特別急行「あかつき」が走っていた。国鉄と私鉄が観光輸送で連携。同じ日本なのに昭和16年まで本土からの持ち込みに関税がかかった。京城、釜山、平壌には路面電車が走っていた。戦跡めぐりが人気で、様々なとくとく切符があったことも紹介されている。

 関東州のアクセスは大連が玄関口。租借権に基づいて日本が統治していた州内は、日本から入ってもパスポート不要で関税自由地域。旅順線と大連市電が観光の足だった。

 日本とロシアが鉄道権益をめぐって対立した満州の鉄道事情は結構複雑だ。満鉄のものもあれば、日本側が建設資金の提供や運営などで関与しているが中華民国所属の路線もあった。

 また、北部の東清鉄道は日露戦争後もロシアの権益として残り続けた。明治44年からは新橋からモスクワまで切符1枚で旅行できるようになったという。満鉄沿線を中心に観光地化が進んだが、列車が馬賊の被害に遭うこともあり、満鉄では守備隊の兵士を載せるようになった。特に、満州事変後は猛烈な射撃を浴びたり、列車通過中に線路を爆破して乗客が死傷したり、駅員や守備兵が応戦して撃ち合いになることもあったという。

 満州へのアクセスは大連ルートと朝鮮ルートが競合関係にあったが、満州航空の国際便という手もあった。中華民国時代から日本人はパスポートが不要。

 満州満州国以前は通貨が統一されておらず、各地で勝手な大洋銭が作られ、同じ額面でも交換レートが違っていた。中国語、ロシア語、日本語が飛び交い、満鉄自慢の特別急行あじあ」ではロシア人の給仕が人気を呼んだ。

 昭和12年の盧溝橋事件以降、日本が実効支配を広げた地域に日中合弁の鉄道ができてゆく。山東鉄道もそのひとつ。上海租借地でも路面電車が走っている。北支地方の鉄道やバスを運行する華北交通も昭和14年に発足した日中合弁の会社であった。昭和20年には営業路線の距離は5849㎞にまでなっている。やはり同じく日本の国策会社である華中鉄道も華北交通と同じ時期に発足している。

 南樺太には日本の領土になるまで鉄道が無かった。軍用の軽鉄道からはじまり、島の東西両岸を北上するように鉄道が敷かれる。パルプ・製紙資本による私鉄もできる。線路幅こそ本土と同じだったが、旧規格の北海道の鉄道が大量に持ち込まれたことで連結器の高さが本州のものと違ってしまい、樺太独自の各車や貨車が多く走り続けることになった。樺太へは稚泊連絡船を使うが、冬に宗谷岬を越えるのは困難だった。豊真線のループ線雄大だった。

 南洋諸島にも産業鉄道が散在している。サイパン島テニアン島、ロタ島、アンガウル島ペリリュー島ポンペイ島、パラオ島などにあったというが、記録は少ししか残っていない。サイパン島では旅客列車も走っていて、無賃で乗れたという。パラオの鉄道はリン鉱石などを運ぶものだったようだ。

 それにしても、大日本帝国には、それぞれの地域の事情にあわせていたるところに様々な鉄道があったことがよくわかった。とても興味深く読めた。

 

単行本、320ページ、東京堂出版、2015/11/25

 

大日本帝国の海外鉄道

大日本帝国の海外鉄道