著:ウェルナー・ヒンク、訳:小宮正安
2008年までウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とウィーン国立歌劇場管弦楽団のコンサートマスターを務めていたウェルナー・ヒンクに日本の研究家がインタビューした内容をまとめた本。
ウィーン・フィルもウィーン国立歌劇場管弦楽団も、クラシック音楽の世界では頂点に位置する団体であり、日本でも絶大な人気がある。長年その中核を担ってきた人物のインタビューなので、暴露話的なものは無い穏やかな内容ではあるものの、興味深い話はいくつか出てくる。
まずは指揮者の話。「これでお客さえ来なければよいのだけれど」と、よくつぶやいていたというクライバー。かといってセッション録音も苦手で、名盤として名高いベートーヴェンの交響曲第7番の第二楽章はライブなら絶対やらないテンポで演奏してしまった。ショルティは録音の鬼だった。カラヤンはカリスマなのであって独裁者などではなかった。ベームはいつもの音を求め、新入りの楽団員にはつらい存在だった。バーンスタインはマーラーをレパートリーに加えたしアメリカの指揮者でありながらウィーン古典派の音楽の真髄を心と体で理解していた。画期的な「ブロックシステム」を導入したマゼール。アバドや小澤の話も出てくる。
次に、ウィーン・フィルとウィーン国立歌劇場管弦楽団の音の秘密について。ウィーン学友協会大ホールは音響が豊かであるため、弓を早く動かして音圧を軽めにして音を濁らせないようにするというような工夫をする。ウィーン国立歌劇場ではオーケストラピットに入るが、ステージの上の歌手と位置が違うので「フィルハーモニータイムラグ」と呼ばれるごく微小なタイムラグを駆使して音を重ねてゆくことで豊かな音楽を作る。また、ウィーン・フィルのメンバーは室内楽の活動がさかんであり、その方法論がオーケストラとなっても活かされている。互いの音をよく聴きながら演奏し団員だけでアンサンブルをまとめられる。日本ではそれほど知られているわけではないし、オーケストラの全員が関係しているわけではないが、王宮礼拝堂での演奏も重要な役割。
それにしても、ウィーン・フィルのコンサートマスターは忙しい。母体であるウィーン国立歌劇場管弦楽団での合間をぬってウィーン・フィルとしての活動がある。しかも、後者は自主活動が建前であるから他のオーケストラなら事務局任せにするようなことも楽団員たちが担っている。加えて、ウィーン弦楽四重奏団や、ウィーン八重奏団の活動があり、様々な音楽祭に招かれ、日本をはじめとする若手を教える各地のイベントに招かれて教え、さらにはウィーン市立音楽院で後進の指導に当たる。公演のためにはリハーサルも当然あるので、前日は夜にオペラの公演で演奏してPM11時に帰って、翌日はAM11時から練習ということになる。普通の人がくつろぐ休日は特に忙しい。音楽家としての能力はもちろん、体力や健康も大変重要だという。奥さんの父親は元ウィーン・フィルの奏者だったので、その辺は理解があって、家庭をよく支えてくれた、と感謝している。
生い立ちや、音楽家の道を歩んだ経緯、ウィーン・フィルに入ったこと、コンサートマスターの試験を受けたいきさつも書かれている。やはり、ポストが空くことが重要で、比較的まとめて楽団員が入れ替わる時期や、複数のコンサートマスターが入れ替わるタイミングがあるようだ。教えている経験から、日本の若い音楽家はとても順応性が高いと述べている。
音楽的にも、はっとするところがいくつもある。R.シュトラウスの音楽は大音量であっても各楽器が異なる細かい動きをするようによく考えられていてベームはそこに注意するように指摘していた、モーツァルトにはオーストラリアのダンスの音楽の伝統が流れているのでその呼吸をつかんでいるかどうかが重要でウィーン・フィルのメンバーはそれがわかっている、というような点である。
あとがきにあるが、ものすごく忙しい日々をおくってきた筈なのに、聞き手が苦労話を聞き出そうとしても、「いや、別にそんなことはなかったよ」と返事するそうで、それは何かを隠しているのではなく本当にそういう反応だったのだそうだ。ウィーンで複数回にわたったインタビューでその間にいろいろなことがあったのに、気さくに応じてくれたという。2011年のウィーン・フィルの来日公演では既に引退していたが、原発事故を心配して同行しない団員に代わってメンバーに加わったりしており、引退してもウィーン・フィルのメンバーに臨時で加わったり、様々な音楽活動を続けているそうだ。とてもいい人だということが伝わってくる。
個人的には、音楽的なところ、特にオペラについてもうちょっといろいろ聞きだしてもらえたら、というのはあったが、クラシック音楽について関心の強い人であれば、関心を持てる話が時々出てくるかな、という本だった。
単行本、280ページ、アルテスパブリッシング、2017/11/22