密林の図書室

人生は短く、経験からのみ得られることは限られます。読書から多くのことを学び、アウトプット化も本との対話の一部として大切なものだと考えてきたので、このブログを立ち上げて日々読んできた本の備忘録として活用しています。

文明に抗した弥生の人びと

著:寺前 直人

 

 弥生時代には現代のような日本という概念はなく、その文化的な特徴は地域や時代ごとに異なっており、新たな文化の受容度についても一律ではなく、特に東日本においては縄文時代から続く伝統の中で新たな文化がゆっくりと受容されていった地域が少なくないということを、先人の研究成果の検証と著者なりの見解に基づいて説明した本。

 著者は特に弥生時代の前の縄文時代について注目し、縄文式土器土偶・石棒といった文化を検証しながら、東日本によくみられる縄文的な精神文化と大陸からもたらされた新しい技術や思想のミックス度合いや地域による受容度の相違が、弥生時代における各地の特徴を生み出していったことを、仮説を交えて説明している。

 また、弥生時代というと縄文式土器、銅鐸や銅矛、中期以降にひろまったとみられる鉄器が注目をあびがちでそれらにはもちろん多くのページが割かれていて地域別の違いも考察されているのだが、石器も弥生時代前期・中期において大変重要であったことを説明している。

 吉野ケ里遺跡よりも大きな集落である福岡市の比恵・那珂遺跡群や春日市の須玖岡本遺跡についても言及されている。銅鐸の起源については銅鈴であるが、小さくて人や動物につけて音を出すものから変化して、大きく、そのうち音を出すものではなくなり、縄文時代以降にみられる模様が与えられて進化したとしている。

 いろいろな研究成果を紹介しながら書かれている。ただ、内容は悪くないものの、「文明に抗した」というタイトルはやや大げさな気がする。また、著者の大日本帝国の自画像と弥生文化研究についての結び付けと批判は、やや主観的な記述が目立つ。考古学的な発見の範囲が限られ、放射性炭素年代法も無い時代のことを現代の視点で安易に断ずることもどうかという気もする。古代史の研究は材料が限られ、それをどう解釈するかで意見の相違が生じやすい。この本の趣旨からは外れるかもしれないが、私は以前、韓国の歴史教科書の日本語版を読んだことがあるが、過去の日本の研究の問題点より、現代の韓国の歴史研究の方がはるかに疑問符がつくものが多いように思われる。

 

単行本、309ページ、吉川弘文館、2017/6/30

 

文明に抗した弥生の人びと (歴史文化ライブラリー)

文明に抗した弥生の人びと (歴史文化ライブラリー)